よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

平成最後の一日

平成が最後の日になっちゃった。 行く年来る年に近い感覚な今日。 しかし別に実際の暮らしにはなんの変化もなく、ホームセンターで半額になっていた高齢犬向けの餌を、お得かなという安易な考えで三つも四つも買って帰ってきた平成最後の午前。 ちなみにうち…

散歩中にもいろいろある

時々フッとある閃きの如く、つい忘れていたことを思い出させる言葉が脳内に浮かんで来るのでメモをよくとる。 散歩の途中にもこの現象はしばしば起こるので、鮮度が命なこの言葉をすくいあげる、つまり立ち止まってペンをとることが頻発することで歩行が困難…

愚か者の妄想

巷がGWで浮かれていようがそんなものは何処吹く風な無駄無し屋である。 と、まぁ格好良く表現したらそうなるが、なんのことはない。ただの暇人なだけのことである。 暇人の特権として、色々と考えることができるというのがある。 それは瞑想とも想像とも空想…

愛すべきキャリー

このblogで自分の生活をさらけ出すつもりは更々ないんだけど、自分の考えはオフェンシブにさらけ出してゆきたいと常々、書くたび心で思っている。 今日は風邪が少し冷たい。 だがそんなことはどうでもいい。 もしかしたら世間はすでにGWにひょっとして突入し…

道徳と法則の不一致

人間の善意の感情と人生がうまくいく仕組み、つまりこの世の法則は必ずしも一致しない。 それどころか、善であろうが悪であろうが感情での判断では辻褄が合わずうまくいかないことのほうが多い。 たとえば可哀想という感情のみで相手に施しを与えたとする。 …

人付き合い

元来好き嫌いがはっきりしているタチなもんで嫌いな人間とは一言も口をききたくない。 嫌いな人間には話しかけないし話しかけさせない。 稀にそういう空気を読まずに話しかけてこられることもあるが、こう言う。 「話しかけてこないでくれる?」 と。 誰がど…

NO pino NO life

何を隠そう実はピノが大好物である。 あのミルキーなアイスをチョコレートで優しくタイト且つしなやかに包み込んだ至高の一粒。 その至高の瞬間を六回も味わえるお得感。 好きになる感情というものは理屈ではない。 プラスチックのつまようじのようなもので…

欲望をいっぱい詰め込んだブログ

未だにこのブログで稼いだ金といえばほんの雀の涙ほどのものなんだけど、金になるならないは別にして、毎日のこの執筆はすでに自分の中では立派な仕事であると解釈している。 書きたいときだけ書くという自由なスタンスも魅力的であるけれど、これは仕事であ…

言語表現のコントラスト

誰かを幸せへと導くようなのを目指してもそれは偽善となってしまいそうなので、せめて時間の無駄にならない程度のものを書けたらなどと思いながらの今日の執筆は始まってゆくのである。 他人に自分の文章を読んでもらうということは、他人の大切な有限なる時…

ちょっとしたドライブ

昨夜はひょいとしまなみ街道に乗って愛媛松山の道後温泉郷まで足を伸ばした。 どうも聞くところによると千と千尋の神隠しに出てくる油屋のモデルにもなっているんだそうな。 まぁそんなことはどうでもいいことなんだけど、温泉には入らずただ歩いただけでも…

あるがまま、思うがままに楽しく書こう、文章は。

春の天気の良い午前中ののどかな時間にこうして自室でブログを書けることは幸せである。 何を書こうかというのは悩みではなく楽しみだ。 子供の頃に100円玉を一枚握りしめて駄菓子屋に目移りするほどに並べられたお菓子を吟味していた時のあの気持ちに近…

百戦錬磨の物書きが磨く自分流

苦節三ヶ月とちょいにしてついに百記事に到達した。 一記事一戦として百戦錬磨となったネット上の物書きの飛躍はここから始まるのである。 ものを書くという行為は命のやりとりこそないが、真剣勝負であることにかわりはない。 その真剣勝負を百回もこなして…

最強のニート志願者

ニートの定義を仕事をしていない者とするならば自分は間違いなくニートなんだよね。 まぁ厳密にいうと世に認められた一般的なお金稼ぎの仕事はしていないだけで自分なりの仕事はしているんだけどもね。 でも隣近所の方々は間違いなく自分のことを無職のニー…

認める猛者か、認めない幼稚なる雑魚か。

自分の落ち度を落ち度として認められない人間は幼稚である。 自分が未だ未熟だということを認められない人間は雑魚である。 こうした言葉を冒頭にもってくるのにはそれなりの訳がある。 世間じゃ成り立つの意味を知らずに成り立ってもいないのにそのつもりな…

布団の中で知的好奇心を満たす悦び

散歩か事務所に向かう時と、誰かからお呼び出し電話があった時以外は基本的に家から出ない。 LINEやFacebookも一切やらないし電話をかけるなんてことは月に数回程度。 とにかく布団の中でくつろぐのが好きで、あの平日の昼間に布団の中でゆっくりとする読書…

話を盛るにはスキルが必要であり難しく面白い

どうでもいいようなことを、如何にもどうでもよくない重要なことのように大袈裟に盛って書いていくのは少年時代にスーパーマリオに熱中した時レベルで面白い。 その文章に意味があるとかないとか考えることに全く意味はない。 ただ単に表現で遊んでいるだけ…

奇人変人と呼ばれて

昨日今日に始まったような青く成熟してない酸っぱいレモンの如くな我が儘とは訳のちがう、時を重ね熟成されたまるで晩秋から初冬にかけて軒下に吊るされた干し柿の外はモサモサ中はトロトロのあの感じに似た我が儘を嗜む無駄無し屋。 そういうモサトロな我が…

山賊いろり

雰囲気の良い飯屋にドライブがてら行ってきた。今日は疲れたので写真だけで。

面白い話

タイトルに面白い話なんてつけてしまうと些か荷が重いようにも感じるわけだが、そこはとっておきの話をここに書き記すことで面目の躍如としたい。 さて、貧乏暇ありな自分の日頃の暮らしといえば、散歩、読書、ブログといった別段特筆すべきこともない平々凡…

諸行無常

さぁてと、時間が来たので今日も駄文を紡いで一人悦に入るとするか。 なにを書こうかなにから書こうか、どっちにしたって大したもんなんて書けるはずもないんだから適当に行こう。 キーボードを打楽器さながらにリズミカルに叩くのが快感なんだけど、この叩…

文明開化

Bluetoothのキーボードとマウスとタブレットがこのブログ執筆においての三種の神器である もしも自分がこのブログを始めていなかったならば、未だにアナクロニズムを、鎖国的スタイルを貫いていたんだろうな。まぁそれはそれでまた違った良さがありはするん…

感化

小学生の頃にドラゴンボールに感化されて風呂場でカメハメ波の練習をしてみたり、きんとうんを呼んでみたりは今となっては懐かしい思い出だ。 同じ頃、北斗の拳に感化されてある時ケンシロウが敵のハートに対して 「臭い息を吐くのはそこまでにしとけ」 的な…

ユーチューブの動画を張り付けてみたという初歩的試み

麻生太郎財務大臣の政治的手腕がどうなのかは政治に興味がないので知らないが、国会でのメロリンQこと山本太郎議員に対するこの発言には思わず手を叩いたよ。面白い。 麻生太郎が山本太郎に言った名言がかっこよすぎる 国会中継 - YouTube シンプルでいいじ…

ブログでスリル

たまには記事の書き貯めでもしようかね、と思っても、どういうわけか書けない。 一日に一記事しか書けないようになっているようなんだよね。 まったく不思議なことなんだけど、まあ、それならそれでいいかという感じ。 江戸っ子気質の宵越しの金は持たねぇ、…

昭和生まれのシーラカンスは先祖に感謝の日々を過ごす

煙草をね、ぷかぁ~っと吹かしながらね、お気に入りの音楽を流しながらさ、熱いアール グレイでも飲みながらだね、こうしてブログで好きなことを書く。昼間からのんびりと。 こんな幸せなことってほかにもあるけどね、自分はこれ以上は別に望まないよ。 なん…

何でもいいし、どうでもいいし、どっちだっていいんだ。

自分の表現方法は言葉。 このブログにおいては文章。 何を題材にし、それをどのような言葉を用いて表現するか。 題材選びは表現の自由によって、どのような言葉を用いるかは自由な表現によって成り立つ。 自分の書きたいことだけを書き、書きたい言葉だけを…

本心の扉

こういうことを書いて多くの人からどういう目で見られるのかは大方の予想はついている。 それでも書くのはどうしてかと言えば、ただ多くの人が気づいていないことに気づいてるという優越感に浸りたいだけの自己満足だ。 性格の悪さは時として大きな勇気とな…

良い自己暗示と悪い自己暗示

良い自己暗示という営みほど理想の自分や環境を手に入れるのに現実的な方法もあるまい。 人間がその目や耳から受ける影響たるや良きも悪きも絶大なものがあるということを念頭において話を進めていこうと思う。 例えばこのブログを書くにしたって 「文章には…

宝クジじゃなく宝人に夢を見る。

今まで生きてきて宝クジを三回ほど買ったことある。 実は一等の三億円が当たったことがある というような嘘は昨日ならばエイプリルフールとして許されたであろうが日付が変わっちまった今日ではそういうのは人からの信用を失うことになるので止めておいた方…

今日は新しい年号が発表されたしエイプリルフールとかいう訳のわからん風習もあって世間はにぎやかなのだろうか。 自分の暮らしは至って普通である。 昭和生まれはいよいよ生きた化石扱いになっていくんだろうなという危惧を覚えつつも、それならそれで老獪…