愚か者の妄想
巷がGWで浮かれていようがそんなものは何処吹く風な無駄無し屋である。
と、まぁ格好良く表現したらそうなるが、なんのことはない。ただの暇人なだけのことである。
暇人の特権として、色々と考えることができるというのがある。
それは瞑想とも想像とも空想とも妄想ともいう多岐にわたるものである。
今日はちとその中でも一番の快楽である妄想をこの場を借りて膨らませてみようかと思う。
自分は自分にとって都合の良い人間だけと付き合って自分にとって都合の良い人生を構築してやろうと目論んでいる人間である。
他人の賛否には耳を塞ぎ、ただ純粋にその願望の達成になんの躊躇いも疑いも持たず、むしろそれが崇高な行いであるとさえ思い込んでいる筋金入りの妄想派だ。
ある場所にすでに目をつけている。
そこに集落を作ってやろうと考えている。
そこに集まってくる同士を募っている。
そこには規則はない。ごく自然に保たれる秩序によって調和が発生する。
個々の精神レベルが高まれば規則というものは必要でなくなる。
そんな楽園を夢見る妄想は妄想で終わるかもしれんが実現するかもしれん。
今のところの進行具合はまだ三割といったところか。
焦ってはいない。
あと10年の時間はかかると見積もっている。
金はどうにかしようと思えばどうにでもなるであろうが、問題はそこに集まる人間の精神レベルである。
中途半端なモラリストなどはかえって邪魔になるし、三流の人間では善も悪も関係なく調和というところにまで想いが至らない。
募っているのは善でも悪でも賢者でも愚者でも一流な人間だけだ。
二流、三流の賢者よりも一流の愚者のほうがよっぽど尊い。
馬鹿は馬鹿でも突き抜けて馬鹿ならば価値はある。
そんな一流どころを集めることができたならば、その集落では猫は放し飼いが許され、吸い殻さえちゃんと処分すれば歩き煙草も顔をしかめられることなく、外出するのにいちいち鍵をかけなくてもいい、信用と安心と寛容さに満ち溢れたまさに楽園となることだろう。
こんな話をすると、ほとんどの人が、
「なにを馬鹿なことを」
と、思うであろうことを想像できないほど無駄無し屋の馬鹿さ加減は三流ではない。
超一流の愚か者を自称するからには全くの勝算がないことを口にするわけにはいかない。
ハッタリや虚言は言いっぱなしなだけではどうにもならないが、かました後はその辻褄を合わせる為の努力をし、ハッタリ、虚言を、ハッタリや虚言じゃなくし、現実のものへと昇華させていくことが大事なのである。
楽園というのは、なにも物理的な何処かの場所である必要もない。
もちろん、それが一番の理想ではあるが。
しかしまずは、精神的な楽園、集落をつくることのが先決なのである。
その為に世間では一風変わった人間達に近寄ってゆき、友好関係を築いてきた。
すでに精神的な楽園は八割がた完成している。
因果の法則、原因と結果。
全ては精神という目には見えないところから端を発しており、物理的な目に見える結果へと繋がっている。
思い通りな目に見える結果を出す為には目に見えない精神的な原因をコントロールするのが王道だ。
因に始まり果で花開く。
因の島。
自分の生まれ育った故郷での妄想である。
叶わなくて元々、叶えばラッキーだ