よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

自分流を見つけ磨く


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次の作品があらかた出来た。が、裏打ち作業が終わっていないので紙が波打つ。

 

自分流を見つけ磨くことで唯一無二となる。

 

この言葉を自分の部屋に掲げて五年の月日が過ぎ去った。

これは芸術の世界で勝負する者にとっての基本であり、奥義であると考えるので書いて部屋に飾ったわけなんだが、そこを徹底するために、本来は邪道とされる我流、つまり書にしても絵にしても誰にも教えを乞わずに一人ひたすら練習に励んでいる。

習字の先生や絵画の先生などから見るとデタラメなものに写る可能性が高いが、自分から見たら、習字や絵画の先生の作品が、上手には見えるけども退屈にも見えるので教えを乞いたいとは思わない。

 

作品に求めるものの相違。

 

芸術の世界は数学じゃないんだからただ一つの正解なんてありはしない。

上手下手が問題じゃないとは思わないが、それ以上に描く人らしさ、つまり個性が出ているか否かが重要だと自分は思っている。例えば技術的にピカソの絵を模写できる人はいるであろうし、むしろピカソよりも上手な人も存在するだろう。だけども、ピカソの絵の構図、発想などはピカソだけのものであり、誰にも真似はできそうでできないものであろう。

 

書聖と言われた王羲之の文字を真似るのが上手であれば、その人は綺麗な文字であることは間違いないが、それは書道とは言わず、習字であるといえるのではなかろうか。

あいだみつおという書道家がいたけれども、晩年の彼の作品は綺麗に書こうという気が微塵も感じられない等身大の個性的なものであり、言葉選びも巧みであったためウケたが、若かりし日の彼の作品ときたらそれはもう綺麗で上手で退屈な習字であったように見受けられる。

おそらく途中から自分流を見つけ、それを磨き、唯一無二へと到達した人の一人であろう。

 

基本は大事である。ではその基本とは何か?

それは本質ということだ。

 

てことは、本質を自分で見つけることができるのならば、誰かに師事する必要はないわけだし、むしろ師匠の色を押し付けられなくて済み、純度100パーセントの自分色を作ることができる。

もちろんその本質を見つけるには真剣な姿勢がないと駄目だし、尚且つ持って生まれた資質というものも無視できない。

 

我流の道は他人に教えてもらうよりも回り道になるので先を急ぐ人にはお勧めできないいばらの道ではあるが、その回り道でさえも芸の肥やしとすることができる自信がある人は、是非我流の道に挑戦していただきたく思う。

なぜならば、そのほうが面白いものができる可能性が高いから。

自分が芸術にもとめるのは色々あるけども、まず第一に面白さなのである。

それは絵でも書でも文章でも一緒。

なのでそこを極めるべく日々精進したい。

そしてゆけるところまで。

食べ物は濃い味が好き。