よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

 

今日は新しい年号が発表されたしエイプリルフールとかいう訳のわからん風習もあって世間はにぎやかなのだろうか。

自分の暮らしは至って普通である。

 

昭和生まれはいよいよ生きた化石扱いになっていくんだろうなという危惧を覚えつつも、それならそれで老獪さを武器に若者に負けじとまだまだなんぞやらかしてやろうかなという気持ちはある。

自分が40代だなんて未だに信じられないところもあるが、そこは現実を見ていこう。

平均年齢でいうと人生の半分は終わっているわけだしね。

 

昔よりも一日が貴重に感じられる。

この貴重に感じられるところに良さがあるような気がする。

もしも不老不死の薬がドラッグストアーで手頃な値段で売ってたとしても、飲みたいとは思わない。

終わりがあるから貴重だし楽しんだろうね、なんでも。

永遠なんてものは必要ないことを年を重ねるごとに実感する。

まあ、必要としたところで手には入らないけども。

大好きなたけのこの里が次から次へと無尽蔵に溢れ出てきた日には寧ろ迷惑でさえあるからね。

限りがあるからおいしんだよ、たけのこの里は。

 

さてエイプリルフールということで世の風習に乗っかってなにか気の利いた嘘でもついてやろうかと考えてみたけれど、日頃から嘘ばっかついてるもんで、ここであえてつく必要もないかなと断念した。

嘘というものはさりげなく、自然についてこそ、その効果を発揮する。

ついてもいいよ、なんて前もって言われてしまうとかえってつきにくい。

 

嘘という行為は奥が深い

 

それこそ人を天国へも地獄へも連れて行くことが可能な魔法である。

今までいっぱい嘘をついてきたけれどもね、嘘が本当になることだってあるからね。

やり方の一つでもあるよ。

とっかかりは嘘から入って、その嘘がばれる前に本当にしちゃうという。

あんまり誉められたやり方ではないんだろうけど、これが結構いい感じに決まるんだよね。

ハッタリっちゅーやつも生きてく上では大事なスキルだよ。

もちろんその後にちゃんと辻褄を合わせるべく努力が必要なことは言うまでもないが。

ハッキリ言って嘘の一つもつけんようではこの世の中では到底やっていけんだろうくらいに思ってる。

正直者が馬鹿を見るという言葉は本当だよ。

というか、正直なだけでは馬鹿を見ると言ったほうのがより生々しくていいね。

嘘ばっかでもいけないし、正直ばっかでもよくない。

仏教の教えの中にも嘘も方便とあるからね。

2000年以上も生き残ってる宗教にそう書かれているくらいだから嘘も必要なんだろうよ。

 

さあ、今日はまだ6時間残ってる。

日頃嘘なんかつかない紳士淑女はとびっきりの嘘を愛する人にプレゼントしてみてはどうだろうか


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