よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

究極のオナニストブログという方向性に決まる



あんまり人様からもてはやされるような肩書きを持っているわけではないのが幸いして、わりかし自由に人生を過ごせているし、発言も言いたい放題を許してもらえている。

その昔、ブルーハーブという北海道のインディーズのヒップホップアーティストが歌詞の中に

美しさを保つために広がりを拒む

という言葉を盛り込んでいたのを覚えているが、それには大きく共感したのも今となっては懐かしい話だ。

 

自分の人脈は10年前から大して広がってはいない。

スマホのメモリ件数ときたら20件をきるほどだ。

友達が少ない可哀想な奴だなんて同情はいらない。

なぜならその20件弱のメモリ、つまり人脈で充分事が足りているからである。

 

他愛のない会話ができる友人、生き残る為に共に真剣に策を練る同士、年に数回しか連絡をとらないが困ったときには頼りになる助っ人、そして血の繋がった家族。

 

その人間たちと広くはないが深くはある付き合いをしていれば数は問題ではない。

ところで好きなように立ち回ろうと思えば道は二つだ。

 

飛び抜けて金持ちになるか、不要な肩書き、人脈をもたず世捨て人のようになるか。

 

自分は別にどちらでもかまやしないのだが、現在の流れ的には後者のほうだ。

しかし自分は世捨て人であってもその少数精鋭的な仲間達はそうではない。

現実世界でシビアな戦いを日々繰り返している実業家でありアーティストであり商売人なのである。

この中の誰か一人でも勝ち抜けることができたならば、あとは芋づる式にいかせることが可能だろう。

もしもそうなったときには仲間内で大きな金も動かせそうだ。

よしんばそうならなかったとしても、それぞれは別に普通の生活をするのに困っているわけでもないし、自分もこの世捨て人的生活には満更でもない感情を抱いているので特に問題はない。

要するにどちらに転んでも好きなように立ち回れることには変わりがないのだから。

 

言いたい放題、やりたい放題をしてここまでやってきたからには、どうせならこのまま最後までそれで逃げ切りたい。

一旦自由を味わった人間が枠の中に戻ることは、物理的には可能でも精神的には不可能だ。

枠の中に詰め込まれるくらいなら死んだほうのがマシなくらいである。

事実そんな中で暮らしていても今のような生気は宿らないだろう。

だから逃げ切る。なにがなんでも逃げ切る。

捕まるわけにはいかない。なにせ自由を奪われるから。

 

ブログは当面の目標である100記事まであと残り20を切った。

ここまで試行錯誤してきた。

デザイン、文体、スタイルを色々と試してきた。

これでいこうというものができてきた。

現在はすでに試合前のウォーミングアップの段階に入っている。

100記事三ヶ月を支払って手に入れたスタイルは今後の基本となる。

基本は大事だ。

そこに努力や時間を惜しむほど無駄無し屋はせっかちでも横着でも愚かでもない。

しっかりやってきた自負はある。

大体この世界の勝手も判ってきた。

徐々にギアを上げてゆき、100記事到達時点でトップギアにもっていくことが今の自分のブログでのやるべきことである。

 

さあて、何人の人に読まれ共感と反感を買うことができるのか今から楽しみでしょうがない。

言いたい放題ブログへのカウントダウンは始まった。

自分の気持ちに正直な文章は書いてて気持ちの良いものだ。

読んでて気持ちが悪くなる人は読まなければ良いだけのこと。

 

究極のオナニーブログを完成させよう。

中途半端なオナニーは迷惑でしかないのは自分もよく分かっている。

しかし、中途半端じゃないものには善悪さえも凌駕する魅力があることも自分はよく知っているのでね。

唯一無二のオナニスト。こういう肩書きなら持っててもいいかな。


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