よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

成功への道は一つじゃないよ


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おはようございます、無駄無し屋です。

 

さて、今日は「仕事」について書いてみようと思います。

 

僕は現在41才ですが、工業高校を中退後、17才で不本意にも社会に放り出されて働かざるを得なくなりました。

26才で自営で水商売(bar)五年、古物商(スクラップ屋)7年を経て今に至る以前の約10年間は勤め人として働いていました。

 

これが思い返してみると、自分でもビックリするくらいに職を転々としているのです。

 

それも全く統一感のない多種多様な職種に。

 

この世の中で、自分ほど色々な職業を経験した人はそうはいないんじゃないかと思うほどに。

 

ではざっと17才からのその経歴をここに書き出してみたいと思います。

 

喫茶店(ウェイター)→土木作業員→造船所(掃除屋)→造船所(溶接)→パチンコ店(表回り)→引っ越し屋→飲食店(皿洗い)→車屋(営業)→製鉄所(鍛冶屋)→アパレル(販売員)→運送業→鳶→解体→塗装。

 

そして自営の水商売→古物商

 

と、今パッと思い出せるだけでもこれだけあります。(よく思い出せばまだあると思う)

当時は周囲からよく「一つの仕事を頑張って続けなよ」と、いわれたものです(笑)

まぁ、まっとうで常識的な意見です。

 

これだけ職を転々としているので、ハッキリ言ってどの職業もその道を極めることなどできていません。技術的な面では。

 

一般的な見方でいくならば、どの仕事に就いても長く続かない駄目な奴というのが定石だと思います。

 

しかし、たしかに単なる技術面で言えば全くその通りであり、反論の余地はありませんが、僕は気づいたんです。

 

人種の違いというものに。

 

世界には色々な国というものがあって、それぞれの国にはそれぞれに法律、文化、思想というものがあります。

 

例えば日本人の法律、文化、思想からなる常識は、ブラジルでは常識ではなく、通用しないことは多いのではないでしょうか。

 

職種というのは国なんです。

 

これは想像などではなく、実際にいろんな職を渡り歩いて見聞き体験してきた上での実感です。

 

同じ日本人の中にも人種の違いが存在しています。

話をしていても、塗装の職人とアパレルの販売員とでは、アメリカと中国ほどに価値観というか基本的な思想に違いがみられました。

しかし鳶職の人と解体業の人達の間には、多少の違いはあれど、同じアジアである韓国と中国ほどの差異しか感じられませんでした。

これにも勿論例外的な場合も存在していますが、まぁ大体そんな感じがしました。

 

つまりそういう視点で捉えると、あながち職を転々とすることも悪いことだけではなく、むしろ見識を広げるのには良い立ち回り方だということにもなるんです。

 

よく「海外に出て広い世界を見てこい」というじゃないですか。

「井の中の蛙ではダメだ」とも。

それと同じことなんです。

地理的人種の他にも、職種的人種、精神的な人種というものは明らかに存在しています。

 

もし、僕が今まで就いた仕事の中から一つを選んで精進していたとしたら、その道ではそこそこのものになっていた可能性はなきにしろあらずですが、今のような人生にはなっていなかったでしょう。

色々な職業という世界を体験したからこそ、片寄ることなくどんな人とでも話ができ、共感はできないまでも言わんとすることは理解できるという能力をもって立ち回った結果、いわゆる不労所得というものを得るまでに至ったのです。

 

額の大小は問題じゃありません。

僕は今、実際自分の望んだ自由をこうして手に入れて、何からも強制を強いられることなく日々を過ごせています。

 

これは僕にとっては成功なんです。

 

一つの仕事を突き詰めていくことで成功を得る、といった方法とは全く逆に、いろいろなものを少しづつ吸収してゆき、それらをまとめたトータルで成功を得るという方法で。

 

この記事の中で僕がいちばん言いたいのは、

ゴールは一つでも、そこに辿り着くまでの道は一つじゃない

ということなんです。

 

今はまだ誰にもこの記事は読まれることはないでしょうが、将来検索エンジンにのって誰かがこの記事を読んでくれた時に、少しでも良い影響を与えられればと思って書きました。

 

今日はこのへんで