よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

一日一記事の賛否について考えてみようか


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自分は、どうしても、とまでは思いはしないが、なるべくならば一日一記事を、と心がけてこのブログと向き合っている。

ネットを見ていると、この一日一記事にも賛否両論あるようである。

まぁどんなことでも満場一致とはならないのが、世の中というもんだ。だからこそ面白い。

 

結論から先に言うたほうのがどうやらいいらしいので、ご多分に漏れずそうするが、自分の感覚では毎日とにかく書いてみて、ある程度記事が貯まってきたらば、そこから取捨選択をすればいいのではないかと思うている。

 

一日一記事否定派の意見としては

「中身の薄い駄文をいくら書いても無駄」とか

「別に毎日更新に拘らず、自由に書きたい時に書けばいい」というのがあった。

 

なるほど。そういう意見を否定する理由は何処にもない。角度の違いを否定はできない。

こういったことに、ただ一つの正解というものは存在しない。

毎日書きたい人は書けばいいし、書きたくない人は書かなければいい。

どちらが正解かなんてのはナンセンスなことだろう。

自分に合うたやり方というものを見つけ実践することが何より大事なことだ。

 

ただ、自分がこうやって一日一記事を続ける理由は、まず文章の上達の為の練習であることが一番だ。

何事も経験に勝るものはない、という信念の基に、こうしてさほど意味深いわけでもありはしない文章を、毎日せっせと書き続けている。

これがブログを始めて三年でも経って、ある程度の経験値を手に入れて、自分のスタイルというものを確立できていたとしたならば、またやり方も変わっているのかもしれない。

しかし現時点では、その肝心の経験値は乏しく、まだまだお試し期間の域を脱してはいない。

質を求めるのは、最終的な理想であるけれど、今はまだ、残念ながら自分のスキルが質を求めてもいいようなところにまで来ていないことを自覚している

 

だから毎日書く。

 

苦しみながらでも書いてさえいれば、そこから気づきや学びを汲み取れる可能性がある。

先日、アドセンスの収入があった。どうやら初めてのクリックがあったらしい。

ゼロじゃなくなった。これはものすごく大きな進歩である。

お金が貰えるのである。

どのような形であれ、お金を貰うとなれば、必要となってくるのはプロ意識だと思うている。

プロの定義もいろいろとあるだろうけれど、自分はお金が一円でも発生したならば、それはもうズブの素人であるとかいう甘えは許されないことだというふうに考えることにしている。

なので、お金が発生してしまった以上は、一刻も早く、物書きのプロと言うても恥ずかしくないような文章を書きたい。

その為には、とにもかくにも書くという経験を増やすことを最優先する。

経験が積み重なっていった時の、あの揺るぎない自信は、是非手に入れておくべきものだろう。

才能というものは、残念ながら持って生まれたものだ。

しかし経験値というものは誰でも手に入れることができる。

 

文章を書くのに必要なのは、才能よりも経験値だと思うている。

その考え方が正しいのか、間違いなのかを自分で試してみたいと思う。



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