よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

ブログ論

読めば読むほどに味が出る、つまり再読、三読としたくなるような記事を書きたいと思っている。

一度始めたからには一生やり続けてやろうという考えを、自分はもつタイプだ。そう腹をくくると、勝負を長い目で見ることになる。焦りは禁物だ。

読者、アクセスの数を増やすには時間をかけてゆっくり、じっくりとブログを丹念に育て熟成させていくのが王道だと思っているし、短期間で手に入る栄光というものは、どこか張りぼてメッキ感が漂うのを、これまでの人生で何度となく目の当たりにしてきたのも、こういう考えに至った理由の一つである。

結局は、なにをするにしても、本質というやつは共通しているように思う。

継続は力、石の上にも三年、急がばまわれ、などという言葉たちは、自分に勇気と自信を与えてくれる、それこそ何度でも、毎日でも読みたいくらいの文字である。

言葉、文章がもつ影響力は大きい。それもすごく。

そんな言葉、文章を発信していけたらば、自分にとってこれほど愉快で充実感を得られることはない。金でも充実感を買うことはできるが、それとは種類の違う充実感なのである。

 

例えるならば、一瞬派手に咲く、刹那的な打ち上げ花火よりも、地味に消えそうで消えない、意外と息の長い線香花火的記事、というふうなものを、コツコツと積み重ねてゆきたい。

これは本当に難しいことだ。日々の記事の更新は言ってみれば文章修行の場だと思っている。

100記事書く頃には、2、3良い記事があればいい位の感覚だ。

傑作というものは狙ってできるものじゃない。虚仮の一心、一心不乱に書きまくった結果、振り返ってみると出来ていたという類いのものだ。

これは陶芸家、書道家などの作品づくりを見てみたら、裏付けることが可能な事実だろう。

自分の頭の中にあるものを、的確に文字に起こすというのは並大抵のことじゃない。

現時点で投稿してきた記事を読み返してみても、あるのはもどかしさだけである。

難しい、難しいからこそやりがいがある。

生涯をかけて、どこまで自分が魅力的な文章を書けるようになるのか、試してみたい。

グーグルアドセンスに申請もしたし合格通知もきた。未だ設置の仕方も知らないから放置ではあるが。

金が生まれるシステムを導入することは励み&刺激になるし、モチベーションを保つには金銭は効果的であるのは揺らぐことなき真実だ。

金の為に書くのは続きそうもないけれど、モチベーションを保つ術として金を受けとるのは大変結構なことじゃないか。

とにかく、まだ今は記事は50に満たないし、方向性というものも確立しておらず模索中で、書いている文章に対しても満足度といえば45%という現状なのである。

挑戦者、という意味、響き、語感が好きだ。流れる水の如くな新鮮さを感じる。

ブログは一つの挑戦だ。ブロガーとして飯が食えるのはほんの一握りだけだと言われているらしい。

有り難いことである。一握りの人間は現にブログで飯を食っている。要するに人間の限界を越えた不可能な目標ではないということだ

狙うのはタダである。その食い扶持を自分にもよこせ位の気概と根気をもってこのゲームに参戦することは、きっと成就しようがしまいが自分の人生の中で有害となることはないだろう、という思いのもとに今日もこうして駄文をせっせと書き綴るのである。