よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

風情のある暮らし


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今日は暖かい、ウグイスが窓の外で鳴いている。

 

こういう季節の風物詩が身近に感じられることに贅沢感を感じる。

 

自然と触れ合うことは心身共に悪くはないはずだ。

夏に蚊に食われたり、ムカデが部屋に侵入してくるのはちと困り者だけど。

エネルギーを貰えるというか浄化されるというか、とにかく本能的に良いと感じる。

 

いわゆる第六感という本来人間に備わっているのにもかかわらず、退化もしくは埃を被っている状態のものに、刺激を与え、埃を振り払う役を自然が担ってくれているのではなかろうか。

と、考えるというか感じるというか、まあ実感としてある。

 


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因島というところに住んでいて、そこは周囲は海に囲まれて、緑もわりかし多く、小高い山にも手軽に登れる、自分にとっては楽園のような場所に年を増すごとに、それに比例して愛着も増してくる。

13年ほどこの島から離れて暮らしたけれど、やっぱり地元はいい。

今はインターネットがあるので、昔ほど田舎のデメリットは減った。

パソコンさえあれば、仕事もできるし、買い物もできる。

情報だって別に東京にそんなに遅れをとることもないだろう。

 

今も豆腐屋がラッパを鳴らしながら家の前を通ってるし、朝の六時には必ず寺の鐘が鳴る。

野良犬は徒党を組んで道路を闊歩しているし、野良猫はそれぞれがお気に入りの場所を見つけて日向ぼっこをしている。

朝には歩いてると、通学途中の小学生や中学生達に「おはようございます」と声をかけられる。

近所のおじちゃんおばちゃん相手に丁寧語は無用の長物だ。

こんな時代になんだか風情のある暮らしができているなぁ、と些かの優越感さえ覚える。

 

ピリピリとはりつめたような空気も嫌いじゃないけれど、ほのぼのとした空気もまた嫌いじゃない

のどかな風景にはどこか精神安定剤のような効能があるように思う。

逆に都会のネオンは興奮剤。

これは好みの問題であるのかもしれないけれど、自分は通常運転はほのぼのと、そして時には興奮剤を生活のスパイスに味わうといったような暮らしがベストかなと感じている。

 

オンボロ小屋のようなところに住んでいても、朝の目覚めを小鳥のさえずりで迎えるのはどんな高級ホテルでの目覚めにもひけをとるもんではない。

高級ホテルに泊まったことはないが。

 

こういうところに住んでると、自然との共存の重要性をよく学べる。

もう一生ここで生き、骨を埋めようと思っているので、この我が地元因島をこれからも存分に味わい、時代から少し遅れぎみに進む文化を楽しむことに没頭したいなと、時々考えながら散歩に出かけるのである。


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