よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

雪が降った

いや~さすがに今日は寒い。

わりと温暖な気候である、ここ瀬戸内海の島でも、今日は朝起きて、外の空気を吸いに出てみると、目の前の山の頂上がうっすらと白くなっていた。雪である。滅多に雪なんか降らないので珍しく、思わず煙草を吸いながら5分ほど見入ってしまった。

もしかしたら、今年最初で最後の雪になるかもしれないという稀少性には、野次馬根性をくすぐる魅力がふんだんに盛り込まれており、冬の風物詩として最も分かりやすい、この雪を、脳裏に焼き付けておきたく思うのも無理はないわけなのである。

例えば北海道のように日常生活に支障を来すレベルでの積雪は、色々と大変なこともあるだろうけれど、この辺のようにほとんど降ることもなく、降ったとしてもせいぜい山のてっぺんが白くなるくらいのものであるならば、かえって風情があっていい位の感がある。

子供の頃の記憶を辿ると、雪だるまや、かまくらを作って遊んだのは保育園に通っていた時に、一回きりのように思う。それくらい、この地方では雪は積もらない。

無い物ねだりのようなもので、雪にはある種の憧れのような気持ちが自分の中には昔からあった。だから、チラッとでも雪が降ろうものならば、大人げなくもはしゃいでみたりしたくなるのは、自分だけではないような気がしないでもない。

こんな雪の日には炬燵の中に潜り込んで、川端康成の「雪国」でもじっくり読みたい気分であったので、図書館に出かけてみたが、あいにくと「蔵書の確認作業の為13日まで休館です」と、入り口に看板が出ていたので、ここでその夢はあっけなくも潰えたのである。

なので致し方なく、こうしてブログ更新をすることにした。ここで雪のことに触れておき、後に読み返した時に、

「あぁ、あの日は珍しく雪が降ったんだなぁ」

と、思い返しながら感慨にふけることも、また一興である。

本土の街で暮らす友人が、この因島にやって来た時には、とにかく海を喜ぶ。日頃当たり前に海を見ている自分からしたら、何を今さら、であるのだが、街に暮らす人からしてみれば、当たり前じゃない海には喜ぶべき理由が充分にあるのと、自分にとっての雪は同じ感覚だ。

もう少し降らないかなぁ、という希望を抱きつつ、天気予報を見てみたが、どうやらそれは叶わぬ夢であるらしい。

ただの寒いだけの冬は迷惑でしかない。雪が降ってはじめて冬を肯定的に捉えることが可能となるのだ。

残念だ、もっと雪が見たい、感じたい、と思いつつ、奇跡が起こるのを待ちながら、この私の雪に対する愛情とでもいうべき感情を、ここに書き記しておく。

因みに、雪の降る地方へ出掛けるのでは駄目で、この因島で雪が降ることに意味がある、という訳の分からないこだわりがあることも付け加えておこう。