よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

古物商の思い出

今日、警察官が、訪ねてきた。別に悪いことをしたわけではない。

古物の許可証を持っているので、その営業法の一部が改正されたとかで、改めて届け出を提出してくれということで、面倒な書類を置いて帰った。ああ面倒くさい

 

古物商というのは、要するに買い物が仕事となる、それは一見、楽しいもののように見えた。

普通の買い物は、買えば買うほどお金が減るが、古物商の場合は、買えば買うほどお金が増えるのである。ただ、もちろんその買い物は知識を持った上でじゃないと損をすることになるのは言うまでまでもないことであるが。

古物商とは買い物のプロのことである。

色々なジャンルがあるが、自分の場合は主に鉄屑と骨董品がメインだった。鉄屑の買い取りはわりと簡単だ。その日のスクラップの相場を見て買えばいいだけの話だった。

ところが、骨董の世界は違った。最初に知り合った骨董屋のじいちゃんに、

「この世界で得する買い物ができるようになるまでには、500万の損する買い物をする覚悟がいる」と、脅されたのを覚えている。

つまり、とにかく買って、損をするという痛い目を見て、それらを授業料だと思って経験を積んでいくことで、儲けが出せる買い物ができるようになる、というわけだ。恐ろしい世界である。

ある時、ひょんなことから、西日本ではわりと名が通っている骨董商の中のハタ師と出会った。

ハタ師とは、お店でお客さん相手に商売する、店師と違い、市場から市場へ渡り歩き、プロ同士での売り買いを専門とする人のことである。

自分が知り合ったそのハタ師のおっさんは、京都を拠点とし、広島から名古屋の間にある市場で売って買ってを繰り返していた。

「あんちゃん、体が空いとるならついてこんか?」

と、いう流れになって一ヶ月ほど同行したことがある。

まさに買い物のプロたちがしのぎを削る、真剣勝負。この業界は素人を騙すのはご法度となっているが、プロ同士は騙し合いも認められており、むしろ騙されるほうが勉強不足だと、笑われてしまうシビアな世界だった。

時々、このおっさんも、

「あかん、これは新モノや。やられたわ」(新モノとは古くない物のこと)

と、自分が競り落とした商品を手にとって口惜しがっていたものだ。

一回一回の買い物で、全て儲けを出すことは不可能であるといってもよいのではなかろうか。損をした買い物もあり、儲けた買い物もある。そんな買い物を繰り返してゆき、トータルで儲けを出せるのがプロであると言える。

一ヶ月の同行の間には、露店も経験した。名古屋の骨董祭や、京都の東寺で、一般の骨董好きな人達や、中国や台湾からやって来るブローカーたちを相手にする。業者、いわゆるプロは話が早かった。どれがいくらで売れて、いくらで買えば儲けが出るのかを知っているから。

厄介なのが素人の客だ。普通の店師ならば、一人の客と充分に時間をかけて、一つの品物をゆっくりと、じっくりと売っていくのが王道なのだろうが、自分が同行しているこのおっさんは、日頃からプロしか相手にしていないハタ師であるからなのか、生来の気質であるのかは知らないが、如何せん客の扱いが雑だった。

まあ、固い大口の客を掴んでいるみたいだから、それでいいのかもしれないが、端から見ていて、こっちがヒヤヒヤする場面もしばしば。

パッと即決できない客なんかがあると、

「それはやめとき、あんたに買えるような値段じゃない」

などと、随分スッパリ切り捨てる。

普通の商売では、ありえない対応であるが、この業界ではそんなに珍しいことではない。買ってくれる客は神様だけど、買わない客はいつまでも居られては、後から来る客の邪魔ですらあるという、ハッキリとしたスタンス。

その時は、そんなんでいいんかいな、と思ったけれど、後から考えてみると、たった2、3日の短期決戦ではそのようになるのも致し方ないように思えた。

 

そんな感じで一ヶ月という月日はあっという間に過ぎ去った。振り返るといろいろといい勉強になったように、今では思う。

それから後、3年位は、うぶだし屋という、一般家庭から古いものをまとめて買い取ってきては、業者にそれを売ることを生業にしていたけれど、古いものが、もう出尽くした感があってなかなか出てこなくなったところで、この仕事も潮時かな、と判断して休業にした。

今はもう古物商の活動はしていないので、許可証を返そうかどうか考えているところだ。

そんな時に警察がやって来て、届け出の再提出を求めて来るということは、神様が、

「もうお前には必要ないから返納しなさい」

と、言っているような気がしないでもないのである。