ことばの影響力
まずはじめにことばがあった。
自分は直接読んだことがないが、ある程度知名度があり、メディアなどにも顔を出すような人達数人が、そう書いたり、言ったりしていたので、まあ、信用しても差し支えないように思う。
聖書の冒頭に、そういうふうなことが書かれているそうな。
自分は事務所に相談しに来る人達に、言葉がもつ影響力というものを主張してきた。
日本には言霊という言葉もある。
これは最も基本的であり、空気のようにあまりにも自然に手にしていることから、ありがたみを、その影響力を、つい、忘れてしまいがちな部類に属するツールの話なんだ。
その、ウチにやってくる人達に対して「言葉とはどういうものか?」と、まず確認をとってみるところから始める。
すると大体の人が、「相手に想い、情報を伝える為の手段」と、答える。
この答えは正解なのか、間違いなのか。
結論から言うと、認識が足りない、ということになるだろう。
部分的な見方としては間違ってはいないが、全体が見えていないというところでは、間違いと言える。
どう認識が足りないのか?
言葉というものは、アウトプットとしての情報の伝達のほかに、インプットとしての自己暗示も、仕事として請け負っている。
今ではたくさんの自己啓発本なんかに、前向きな言葉を使うようにと書かれていると思うけれど、これは正しいことだ。
他人の陰口、というジャンルの言葉を発している瞬間の人間の顔を今度気をつけて見てほしい。
特に目を。
いい気分にはなれないはずだ。おそらくよほど性根が腐っている人でないかぎり、発している本人もいい気分ではないだろう。ストレス発散になるなんて思ってたら、本質的なところで大間違いである。
前向き、後ろ向きな言葉の具体的かつ基本的な例として、
ダメ、という言葉はマイナスな影響を与えやすいから、極力つかわないほうのがいい。
良い、という言葉はプラスな影響を与えやすいから、なるべく使ったほうがいい。
ダメということばには魔力が潜んでいて、その言葉を聞いた相手も自分も駄目になる。
やったらダメと言われれば、やりたくなるのも、その魔力の影響だ。
禁煙したい人は試しに、吸ったらダメだ、と言い聞かせることを止めて、そんなに吸いたいならばとことん吸えばいいよ、と言い聞かしてみるのも面白いし、人生を頑張らなくちゃダメだ、と言い聞かして頑張れなかった人は、今後一切全く頑張らなくてもいいよ、と言い聞かしてみると、本当の自分に出会えるかもしれない。
当たり前に使っている言葉というものには、取り扱いに対する注意が欠けてしまいがちだ。
たかが言葉などと侮らないほうがいい。
他人にだけじゃなく、自分にも影響を与えるものだと認識したほうのがいい。
そして、自分にも相手にも良い影響を与える言葉とはどんな言葉かを考えると、更に良い。
この、良い、と、駄目、という言葉がもつ影響力は、基本中の基本である。
駄目な言葉は自他ともに駄目になるし、良い言葉は自他ともに良くする働きがある。
これは言葉の法則だ。
一つ一つの言葉がもつ影響力は微々たるものな場合が多いけれど、塵も積もれば山となるので、日頃から、言葉は慎重に吟味した上で良い方向に向かうよう工夫することが大事なんだ。
いい音楽を奏でるような、いい音楽を聴くような感覚で言葉というツールと向き合うだけで、多少は運命というものが好転してくるものだということを、実験してみて実感した。
もし、まだそういうところに目を向けてなくて、どうも人生うまくいかないなぁ、と思っている人がいるならば、是非、駄目で元々、試してみても損はないわけだから、一度、自分が発している言葉について、ゆっくり寝る前に布団の中ででも、考えてみると、良い気づきが訪れるかもしれない。