NO pino NO life
何を隠そう実はピノが大好物である。
あのミルキーなアイスをチョコレートで優しくタイト且つしなやかに包み込んだ至高の一粒。
その至高の瞬間を六回も味わえるお得感。
好きになる感情というものは理屈ではない。
プラスチックのつまようじのようなものでピノをプスッと突き刺す瞬間に唾液が口の中に充満する。
げに恐ろしき魅力と甘味とを兼ね備えた人類の希望とも言えるピノ。
ピノをこよなく愛する人間のことをピノラーと呼んでいいのかどうかわからないが、ただひとつハッキリしていることは、回数を重ねて食していくことにより発生するピノイズムは一種の信仰のようなものであるということだ。
この世の中で信じられるのは自分の実力とピノだけだ。
ピノの公式サイトを覗いてみるとこのようなことが書いてあった。
チョコレートと
アイスクリームの
絶妙なバランス
1粒口に入れると、チョコレートの深いコクに出会い、
直後にまろやかなアイスクリームの甘さが
口いっぱいに広がる。
長年の研究成果の末にたどりついた
チョコレートとアイスクリームの黄金比率による
絶妙なバランスが、
“しあわせな瞬間”を生み出します。
と。
なんと驚くべきことに黄金比率にまで研究が及んでしまっている。
これにはさすがのいちゃもんつけの無駄無し屋といえどもぐうの音も出なかった。
素晴らしい&凄まじい。
数々のアイスクリームが生まれては消えていくなかで、この1976年に森永乳業で生まれたピノは淘汰されることなく40年を越す長きにわたってアイスクリーム界に君臨するエンペラーといってもさしつかえないように思われる。
ここまで書くと影響力のある有名人などであれば森永からピノ一年分が送られてくることもなきにしろあらずであろうが、かなしいかな、この無駄無し屋といえばその影響力ときたら蟻のごとくであり、その知名度ときたらアマゾンの奥地に潜む新種の生物にも引けをとらないほどのものであるからして、森永からピノ一年分が送られてくるというようなことはまずもってあり得ないのである。
したがって今からヤマザキへ自分の足で向かい、自分の身銭を切って、その至高の六粒入りのピノを、口内の唾液が溢れそうになるのを必死で堪えながら手に取り、店員には隠れキリシタンのごとくに信者であることを悟られないようにして、黙ってクールを装って持ち帰ってくる所存なのである。
ピノの良さがうまく伝わったかどうか不安なところではあるが、とにかく、おいしいのである。
PINO万歳(ノ゚∀゚)ノ
追伸
200円の小銭を手汗で湿らせながら握りしめて歩くこと三分。
行きつけのヤマザキに着いたのであるが、なんということか、オーマイゴッドというべきか、ピノがない。
なんとなく心の中は今日の天気のようにどんよりとしたものになってしまったことをここに記す。