よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

二千円で買った油絵

数年前に、まだ古物商として各家庭に出向いて不用品を買い取ってまわっている時に、ある70手前のおばさんと偶然出会った。

そのおばさんは買い取ってくれ、ではなく壊れたエアコンを引き取ってくれとの依頼だった。

当時はまだエアコンのスクラップは有価物としてキロ100円で売れていたので、一台回収するとおおよそ、4、5千円にはなる、十分仕事として成り立つものであった。

二階のベランダに外して置いてあるんだけども、どうにも重くて運び出せないと、そのおばさんがいうので、それでは、と家の中に入っていったところ、そこには油絵が壁中に飾られてあり、床やテーブルの上にも描きかけの作品や、油絵の具や筆などが乱雑に転がっていた。

ほう、と思いその作品たちを一つ一つ丹念に鑑賞していきながら、

「これはおばさんが描いたものかね?」と問うてみると、「そうよ」と返ってきた。

なんでも15年ほど前から趣味で始めたらしく、風景やら、宗教じみたものやらを自由に、その時の感覚とでもいうのか色々と描いていた。

はっきり言って、お世辞にも上手とは思わなかった。でもそのいびつさが面白いとは思った。

その中でもおどろおどろしい、渦を巻いたような闇夜の中にでかでかと描かれた満月の作品に興味を覚えた。


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決して穏やかな感じのしない、この嵐の前のような感じを受けるその絵を手に入れたい、と心の中で静かに、言わば直感的に思ったので、そのおばさんに聞いてみた。

「この絵、買うと言ったら売るの?」と。

おばさんは、

「買うなんて言われたことがないけど、買ってくれるんなら売るよ」と言う。

古物商をやっていると遺品整理などで、故人が趣味で描いたような絵は吐いて捨てるほど手に入る。一山いくらで買い取った中に必ずといっていいほど2、3枚は入っている類いのものだ。

素人の描いた絵単品に値段をつけるなんてことは経験がないことだが、

「2000円なら出すよ」と交渉をスタートさせると、ことのほかあっさりと、

「自分の絵に価値がついて嬉しいわ、持っていって」となったのである。

あっけなく交渉は成立してしまった。

二千円でこの絵を買うということは、商売的には失敗だろう。誰も素人のおばさんが描いた絵なんか欲しがらない。

掛け軸や絵画を求めてやって来るマニアたちが気にするのは、なにをさておいてもまずは絵の下側の端のほうに書かれている作者名だ。

この世界においても何がどんなふうに描かれているのか、ということよりも、誰が描いたのかを気にする風潮は当然のごとくに存在しており、その風潮には毎回慣れることもなくうんざりする。

絵じゃなくて名前を買っている感じ。

 

もう少し話を脱線させていくことにするが、文房具屋に半紙をよく買いに行く。

あるときそこの店に額縁にいれて飾ってある文字について話をした。

店主はたいそうこの字がスゴいと僕に訴えてくるのだけれど、別段僕には何がスゴいのか伝わってはこない。なので率直に聞いてみた。

「この字のどこがどういうふうにスゴいのかね」

すると店主はさも意外な返答をされたかのような顔を一瞬見せながら、少し慌てた感さえあり、

「どこがすごいって、そりゃ偉い人が書いたもんだから」と言う。

残念な気がしたのは言うまでもない。この人に文字の良し悪しの話をするのは間違いだった、この人は文房具を売る商売人なんだ、と悟った瞬間だった。

この文字のこの部分の線に現れている息遣いが凡人には真似のできないものである、とか、この全体のバランスは極めて隙がなく、このような表現は努力で身につけることは不可能であると言っても過言ではない、というような意見を想像していたのだけれども、あては外れた。

 

随分長いこと話が逸れてしまって申し訳ない、本題に戻ろう。

この二千円で買った絵は商売にはならない。しかし面白い、と思った時点で僕の中にはこの絵に対する価値が生まれている。いい買い物だったと、数年経った今でも思っている。

芸術の価値なんて、いい加減なものだという感じがしないでもない。

90億円以上の値がついたムンクの「叫び」は色んな意味ですごいと思う。ただ、この仕事中に偶然出会った、あまり上手ではないが誰の真似事でもない、どこか少し変わった雰囲気をもつおばさんが描いた満月の絵にも、二千円以上の価値と魅力を充分感じられる。

良い出会いと買い物であった。