よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

実利と魅力

 

六月。

 

道を歩くと紫陽花の色とりどりの花が目の保養となる季節。

常に花が綺麗だと思える心の余裕はもっていたいものである。

 

そんなことを考えながら朝の散歩を終えてきた。

 

 

ところで自分が体にも心にも求めるものと言えば、つよさとしなやかさである。

 

つよくしなやかな心と体は自分のイメージする動きには必要不可欠なものであると心得ているので、そうあるための努力に対しては、出し惜しむというようなセコい感情は抱かないことにしている。

 

動きの一つとして、扱う言葉にしてもそうありたく思っているので、このblogで表現される文章にもつよくしなやかなところを読み手が垣間見れるように心がけてはいるつもりだ。

 

何故につよくしなやかでありたいと思うのか、というと、それはもちろん生きてく上での実利に繋がる要素であるということもあるけれど、それとは別に、つよくしなやかであることに美しさという魅力を感じるからでもある。

 

魅力と実利がある。

 

これ以上にそこを目指すのに強力な動機はない。

と、自分の感覚はそう告げてくる。

 

こういうのは人によっていろいろとあると思う。

好みによってね。

 

動機に不純もくそもない。

結果良ければ全てよし的思考でいくのが性に合う。

 

自分にとっての実利とは?何に対して魅力を感じるのか?

と、いうようなことを自問自答し、出てきた答えに向かって進んでいく。

 

思うことから始まるのだけれども、思うだけではなにも始まらない。

前に進んでいくための一歩を踏み出すという動きがあってはじめて運命の歯車は回りだすのではないかなぁ。

 

千里の道も一歩から。