よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

無用な心配には開き直りで対処しとこうよ

 

揚羽蝶がつがいで仲良く飛んでいるが、あいつらの世界にも浮気とかそういう修羅場は存在するのだろうか、と余計な心配をしながらぼんやりと窓の外を眺めている。

 

心配といえばまず最初に思い浮かぶのが…

いや、残念ながらというかなんというか特にないな。

 

それは残念なことというよりか、むしろ幸福なことなのかもしれないし、ただの呑気なお花畑気質であるのかもしれないが、心配がないぶん、希望はすこぶる豊富であり、ことあるごとにムフフとなってしまう自分が我ながら恐ろしく感じることがある。

 

でもあれだ、無用な心配に心を悩ませることよりも気分は良いのだからそれはそれでありなスタイルだろう。ありだよね?

 

大体において心配というものは取り越し苦労である確率が高い。

思い煩うほどのことでもないことに、自分勝手に悪い方に意識を向けるから心配というお呼びでない感情がしゃしゃり出てくる。

 

引き寄せの法則でいうと、そういう取り越し苦労が潜在意識にまでインプットされることによって現実となってしまうということなんだろう。

 

だからどうなるかもわからない先のことにあれこれと心配するのはほどほどにしとくのがよい。

対策を練れるところまでは考えてもいいが、考えてもどうしようもないことに対しては考えない方がいい、と、自分は思って生きている。

 

生者必滅。

生あるものは必ず滅びる。

 

今はこうして元気でビンビン、いやピンピンしている自分もいつかはそのうち死んで行くのはこれはおそらく間違いのないことだろう。

今はまだ元気な母も順当にいけば自分よりも早くこの世を去るはずだ。

そういう事実は不幸でも何でもないごく自然なことであり、心配したところでどうにもならない動かざること山の如しな世のシナリオだ。

 

 

なるようにしかならない。

こういった開き直りの境地を意識のチャンネルの一つに加えておけば、いざという時に役に立つ。

自分なんかはやたらとそのチャンネルのスイッチをポチるもんだから、すぐに開き直る。

 

もはや人生は開き直ってなんぼだろう、くらいの気概か勘違いか微妙なギリギリのラインで綱渡り的世渡りを実は楽しんでいたりもする。

 

まぁたかが人生、気軽に身軽に自由にわがままにいこうやって感じだね。

所帯とか社会的肩書きなんか持ってる人たちなんかは大変だろうなって心底思うよ。

心配だらけなんだろうなぁ。

 

自分には到底無理なことだ。

 

だけどもものは考えようって言葉もあるからね。

必要な心配もあるだろうが不必要な心配もあるはずだよね。

そこら辺の分別をつけることができれば今よりかは人生楽になるかもしれないな。