疫病神と福の神
継続、継続。
それが必ず未来に身を結ぶと信じきれているからこうして時には面倒だなとか思いながらでも、五ヶ月ほぼ毎日書いてる自分。
やるねぇ。と、誉めてやりたいよ。
自分に酔えば酔うほどに力を発揮する、まるで酔拳のごとくなこの文章には、下手な謙虚さや、行儀のよさなんてものはかえってクズだ。
自分に酔ってでもいなけりゃ到底毎日こんな文章なんて書き続けていられるもんかってなところがあるぜブラザー&シスター。
今日も変わらず機嫌は良いし図々しいし根拠のない自信は満ち溢れているのだから調子はまずまずな感じなんだろうな。
皆さんの調子はどうだろうか?
まぁあんまり興味はないけれど。
ところでさ、調子が悪いとかアピールしてくる人って疫病神としか思えないのは心が狭いからではけっしてなく、事実、そういう波動をだしている疫病神なんだって死んだ婆ちゃんが言ってた、というのは嘘だけど、とにかくそのアピールに反応してはいけないのは本当のことだとは思わない?
ミーは思うわけよ、そういうふうに
その逆に調子のいいアピールをしてくる人、つまりこの無駄無し屋なんかに対しても福の神だと思うことができる人は、自分も福の神なのである。
疫病神は福の神を煙たがる。
しかし、実は疫病神と福の神は同一である。
この無駄無し屋だって一歩白線跨げばいつでも疫病神になっちゃうからね、気をつけないとね。
要するにネガティブとシリアスの違いが判っていない、ポジティブを安易に否定するようなのが疫病神の顔を現す危険な人物なのさ。
この表現はニュアンスで感じ取ってもらえばありがたい。
ポジティブを否定する人は自分がポジティブになりきるスキルがないがために僻んでいるだけで、そんなのを相手にしていたら重たいだけで、こちらになんのメリットもないね。
そもそもだね、ポジティブを否定しても許されるのは、ポジティブになりきったことがある人間だけだぞ?
ポジティブとお花畑ももちろんちがうよ。
どう違うのかといえば、ポジティブは現実から目を逸らさずに出来事に意味を見いだすけれど、お花畑は現実を見ずに自分の都合に合わせた妄想の中で生きている、といったところかな。
それでもネガティブな人よりかはお花畑な人の方がよっぽどいいね。
なにがいいかって、運気が良いのよ。
ネガティブでも頭のいい人はいくらでも見たことあるけども、ネガティブでいて良い運気を持っている人にはこれまで会ったことがないし、これからも会うことはないだろうね、なにせ存在しないんだから、幸運なネガティブなんてのは。
付き合う人間はポジティブかお花畑に限るよ。
それ以外の病的なひねくれかたをしたネガティブとか調子が悪いオーラを漂わせてくるようなのは、人間性とかの次元ではなく、いくらいい人でも近寄ってはいけない、とまでは言う権利は自分にはないが、消耗はすると思っていい。
そもそも調子悪いオーラを他人に振り撒くような配慮に欠けるようなのに、いい人はいない。
それは迷惑な人ということだ、と、あくまでも自分はそう思ってるってだけの主観的な意見なんでそこんとこよろしく!