長老が逝く
今日はドタバタした一日であった。
我が家にやって来て19年になる犬が死んだ。
あだ名は長老。
天寿を全うした感すこぶるつよし。
死んだからには埋めないといけない、と思いシャベルをもって穴を掘ろうにも、意外にも土が固くて苦労したが、その苦労も労いの念による心地よさにも似たものを自分に感じさせたことには少し驚いてみたりもしたのである。
長年連れ添ったペットにはもはや犬とか人間とかいう、あまり意味のないカテゴライズは不必要であり、それこそ人間の家族と同等の絆というやつが芽生えるものだ。
死別というものは、感情的には複雑なものがある。
第一にもちろん寂しい、というもの。
それからご苦労様、という労いの気持ち。
そして最も大きい今までありがとう、という感謝が混ざり合った、なんとも形容のし難い複雑なものなのである。
しかしそれは自分の精神に悪く作用するものではない、前向きな切なさとでも言うべきものであり、そういう意味においてもやはり感謝なのである。
友人からいただいた日本酒を一杯飲んだ。
別に酔ってはいない。
おいしくいただいた。
先月はうちにやって来てた野良猫を看取り、今日は飼い犬を看取った。
ありがたい。
この一言に尽きる。