無駄と時間とアーモンドクッキー
本日はスタート出遅れた。
空は薄曇り。
暑くはない。
こんな時間帯からの執筆にはあまりやる気が起こらないのは何故なんだろうとか思いながらもとりあえずは書いていこうと思う。
土曜日。
自分には曜日の感覚がないし、特に必要な感覚でもない。
なんなら時計だって無用の長物であると言えないこともなく、事実腕時計は数年前に友人にやった。
スマホで日に数回確認するくらいで充分に事は足りている。
時間を気にしない生活というものはなかなか痛快であり愉快である。
陽が上れば朝だと認識し、沈めば夜だと認識するという至って原始的な暮らしには満足している。
時間に追われてる感を味わいたくはない。
それじゃなくても実際時間は有限であり、刻一刻と少なくなっているのだから。
時は経っているというよりか、減っているという捉え方をする。
そのほうがなんか時間に価値を見出だせるような気がするから。
どうにか有意義に消費しようとは思うけれど、そこは人間の愚かさとでも言おうか、なかなか思い通りにはいかず、なにかと無駄に時間を消費しているような感じがしないでもない。
しかし、よくよく考えてみると、無駄に思える消費も実は無駄ではないという可能性は捨てきれない。
たとえば一日なんにもせずにボーッと過ごしたとする。
生産性という面で考えるとこれは無駄かもしれないが、精神的なリラックスとして考えるならば、たまにはそういうのも必要であるともとれる。
そもそも無駄というものはないのかもしれない。
大局で見ると、ということではあるが。
無駄か無駄じゃないかということを考えることこそ無駄な時間じゃないかとも思ってみたりする。
結論としては無駄も必要というところに着地点を見出だした。
必要以上の無駄は必要じゃないが、全く無駄がないというのもどこか不自然な感じがしてくるので必要な分だけの無駄はむしろ必要であり、無駄ではないんだろうなと思うわけなのであった。
まぁどうでもいいね、そんなこと。
それよりもアーモンドクッキーがおいしくておいしくてたまらない。
紅茶に合いそうな感じだけど、なにもなしで二枚食ったら口の中の水分を全部もってかれたようでパッサパサなんだけど、まぁいいや。