よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

キラリと光るワンフレーズのために

 

こう毎日記事を書いてるとね、時々ふとバカらしく思えちゃうこともあるわけよ。

 

そんな時のことを魔が差すというんだろうね。

 

でも書くよ。

 

なるべく毎日。

 

今までで三回はあったな、バカらしくなったことが。

 

でもそんなバカらしいことでも続けることで段々と徐々にそれなりに意味をなしてくるもんだと思ってるから続けるんだろうね。

 

そういうのが正しいか間違いなのかはまだ今のところは判断ができないから続ける一択でやってるよ。

 

時には気持ちのいいのが書けたりもするからね。

 

毎日が会心の出来になんて無理だな、自分には。

 

日頃苦痛を伴いながら書いて、時折生まれる傑作に救われるといった具合。

 

その傑作っていったって自分的にはというものであって、他人が読んでどうなのかは知らないよ。

 

そんなことは知ったこっちゃない。

 

書いてる最中に楽しいなんて思ったことは一度もないな。

 

書いて出来上がった時には達成感はある。

それが楽しいのかもしれない。

 

苦痛があってこその快楽なんだよ、結局は。

 

わざわざなにかネタを探すといったようなことはしない。

 

自分の中から溢れ出す言葉をこうして書いていくだけ。

それが意味があろうがなかろうがどうでもいい。

貯まっていくものを放出する為に書いてるというのもある。

 

もしかしたらこの先にそういう溢れ出てくるものがなくなったとしたら、それはそこがやめどきだろうと思う。

 

しかし今のところはそんな心配は必要のないくらいに次から次へとくだらないものからすばらしいものまでありとあらゆる言葉が自分の中から溢れ出てきている。

 

その源泉が干上がってしまう日が来るのかどうか。

 

まぁそんなことは考えるだけ時間の無駄だ。

なるようにしかならない。

干上がればやめればいいし、そうじゃないなら書けばいい。

それだけの話だ。

 

辛い辛くないというような感情はやめるやめないの判断基準にはならない。

場合によってはその辛さが楽しみにもなるわけだしね。

楽観的な性格で良かったとつくづく思う。

 

記事一本の中でワンフレーズでも、これは良い言葉だ!

というようなのがあれば御の字なんだよ。

 

残りの言葉はそのワンフレーズを導き出す為の布石でしかない。

 

キラリと光るワンフレーズのためだけに1000~2000文字を費やす。

 

はじめからそのワンフレーズだけ書けばいいというような単純なものではない。

 

その1000文字2000文字の布石を打つからこそ生まれるフレーズがあるのである。

 

もっと大胆にいうと捨て駒もいるということだ。

ありがたき捨て駒。

 

はぁ~、今日はこの辺にしといて散歩に出かけるとしよう。