道具に愛着
道具が好きだ。
このblogを書くのを続けられるのも、お気に入りのBluetoothキーボードを叩くのが心地よいからであることの占める割合は案外大きい。
道具には愛着が湧く。愛着が湧けば使いたくなる。だから必然的に記事を書きたくなる。
というような具合である。
これが道具を使わずにフリック入力であったならば面白くなくやめていた可能性は高い。
良い道具というのはただ単に便利というような物理的効果のほかにもやる気を起こさせてくれる精神的効果も兼ね備えているように自分は感じている。
どうやら物覚えが悪いのかこのキーボードを使い初めて三ヶ月が過ぎたが、いまだに少しスピードを上げて打ち込むと誤入力をしてしまう。
リズミカルなキーボードを叩くカタカタという音に憧れるが、それはまだすこし先の話になりそうだ。
今はまだ、カタ…カタカタ…カタ…カタ…というような感じでとてもリズミカルにはほど遠い。
ジレンマ、という形容がふさわしいのかもしれない。
経験、経験。
他にも日常で使う道具といえば財布。
これは革細工の職人を目指しているという友人にこしらえてもらったマネークリップ。
使い初めて三年が経つ。
ここに来てようやく使い込んだ感が出てきたようで気に入っている。
このクリップにお金が入る度に手汗、油を刷り込むかの如くに擦ったりもしている。
そうすると不思議なことにお金にまで愛着が湧いてきてよりいっそうありがたさが出てくる。
お金に執着することはあまりよしとしないが、愛着ならば文句はない。
大事に使おう、有意義な手放し方をしようと思えるからだ。
財布に愛着は必須である。
そして何よりも身近で根本的な道具である言葉。
これに対する愛着がやはりこのblogを自分に書かせる最大の要因であることは間違いない。
本が好きなのも色んな言葉という道具の種類やら使い方を見れるからであるのも一つの理由だ。
道具は使えば使うほどに馴染み愛着が湧いてより良い仕事をするようになる。
そういう意味でも言葉を道具として捉え、それらを使い込んで馴染ませるために一日一本の記事を書き続けることには充分な価値を見出だすことができる。
読み手にとって価値ある記事を提供してゆくのも、自己の表現の限界に挑むのも、どちらにしても使う道具は言葉一つだ。
言葉に愛着なくして良い発言、良い文章はありえないというふうに考えているもんだから、こうして打ち込む一文、一語に対しても愛着をもって書き連ねるように心がけている。
道具を大切に想う気持ちは職人にとって何よりもまず最初に持たなければならない心だ。
職人でなくとも道具を大事に扱うことには百利あって一害なしであろうと思う。
道具に愛着=良い仕事
これは絶対だ。