論と証拠
このblogというものは基本的に文章で表現をする場である。
しかし文章で伝えたいことの全てを表現することは不可能であるというふうに自分は思っている。
しかし、だからといって何も伝えることができないというわけではなく、やっぱりある程度のところまでは伝えてくれる素晴らしい手段の一つであることにかわりはない。
そして映像では表現できない部分を文章は表現できる。
論より証拠という言葉もある意味本当だが、その証拠も論がなければ腑に落ちないことなどもザラにあるのも本当だ。
たとえば芸術作品などについての評価。
描かれた絵は証拠そのものである。
しかし、その証拠を見せられてそれが本当に素晴らしいものであるのかどうかを判断できる人間は少数派に属するであろう。
その描かれた絵についての「どこがどのようにすごいのか」の説明を受けてはじめて
「ほぉ、なるほど、それはすごい」
と、なるのが一般的な反応というものだろう。
本当の芸術に優劣はつけられない。
誰か影響力のある人のお墨付き一つでカタがつくいい加減な世界であるという見方もできないこともない。
そういう観点から見ても証拠だけでは不十分であるということが言えるのではなかろうか。
論、つまり言語による説明が証拠をより確実なものにする手助けとなるのであるからして、
論より証拠、よりも、論で証拠の裏付けをする。
というのが論と証拠のあるべき関係だと思う。
どちらがいいかという判断は一歩足りない感がある。
どちらもあってこそよりいいものとなる。
が、いちばん好ましい。
このblogを通して自分は言語での表現の修行をしているつもりである。
何かを裏付けるのに必要なスキルだと思っているから。
磨いていくのはその的確さ、に的を絞ってのことである。