よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

悦ぶ言葉

 

べつにみんなを喜ばせたいなんて下心は持っていない

 

と、いえば嘘になるやもしれん。

 

人間なんて下心で生きてるようなもんだ。

 

なにを今さら隠す必要があるってなもんだ。

 

今日のこの記事一本に関しては一人でも多くの人が悦んでくれるようなのを目指して書いていく。

自分には他人を幸福にする力なんかないが、他人を幸福にする言葉ならば多少は知っているつもりである。

 

謙虚な心持で感謝の気持ちを抱きながら自分の非を認めて相手の非を許す。

 

「そんな綺麗事を言うな」

とかいう次元の低い解釈をするような人間はここにはいないことだろう。

 

おそらくみんな、そんなことはわかってるよ、といった感じなんじゃないだろうか。

そうだと思うし、そうであってもらいたいと思う。

 

しかし頭でわかっているだけではまだ詰めが甘い、ということで、ここでこうしてごく当たり前なことを一文として書き記すことで、視覚からもその当たり前にコンタクトしていってもらいたい。

 

冒頭でみんなを悦ばせたいと書いたが、これは表面的なところではなく、もっと深い、奥底にある人間の深層意識というところへのコンタクトだ。

 

一日を心穏やかに過ごすこと。

これは一つの充分な幸せだ。

 

心を穏やかに過ごすには他人に不満を持たないこと。

自分の気づいていない落ち度に気がつくこと。

もっというなら自分が他人から許してもらっているということに気づくことである。

 

こういう文は長々とやってしまうと説得力が薄れてしまうのでこれで終わりにする。

 

今日の一日に幸運を。