よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

ばびゅーん

 

どうしたものか、年々運気が上がってきているような感じがある。

それはつまり年を重ねるごとに人生の調子が良くなってきているということだ。

羨ましい人は素直に羨ましがってもらってかまわない。

 

昔話に嫌悪感を抱くことはないけれど、そんな暇があるならば、今のことについて話すなり考えるなりしたほうのが格段に面白い。

「楽しい」が過去に置き去りとなり「楽しかった」などという過去形でしか今を語れないようなことになるのはつまらない人生の代表格だ。

 

と、いうことで今日も楽しくこのblogを思うがままに書き進めていこうと思い始めると、なんだか勇気も湧いてくるようなのである。

 

勇気、というのは何事においても欠くことのできない大事な要素だと常日頃から思っていると同時に、臆病もそれと同等に大事な要素だとも思っている。

 

勇気と臆病は言ってみれば表裏一体、陰と陽、月と太陽、浜田と松本のようなもので、どちらが欠けてもバランスが悪くなる一蓮托生的関係だ。

 

どちらかの要素しか持たないアンバランスな紳士淑女は、足らずの要素を持つ相方をなるべく早くに見つけ、手なずけるなり手なずけられるなりしてバランスを保つことを今後の当面の課題としてみたらどうだろうか。

 

雨が降っている。それもけっこうしっかりと。

室内は暗いが自分の心の中はすこぶる明るい。

のではあるが、それではキーボードがよく見えないという物理的問題は全く解決しそうもないので、ここはひとつ素直にスタンドライトをつけることにした。

精神世界と物質世界もまた一蓮托生的関係のようである。

 

しまいには雷がゴロゴロ言い出したがこれは猫のゴロゴロとは違って全く可愛げのないオドロオドロしい音だがそれが魅力的なんだよなぁ、なんか。

縄文時代の人間なんかは怯えたんだろうなとか想像するけど、現代人の自分からしたらUSJのアトラクションを楽しむような感覚でこのカミナリ音を聴いてるよ。

 

しかし自然を舐めてはいけないよ?

舐めてるといとも簡単に人間なんてシメられちゃうからね、まじで。

畏敬の念をもたないとね、ちゃんと。

人間がいくらいきがってみたところでね、自然にゃ勝てんのよ。

自然はケンシロウだ。

我々はたかだかあのジープに乗ってヒャッハーしてる雑魚キャラ。

指先一つでダウンさ的な小さく愚かな存在だ。

生き残る為には分をわきまえる必要があることを自覚しないとね。

 

ピーナッツ入りのチョコを頬張ってる。

ピーナッツを最近まで恥ずかしながらピーナツだと思っていた。

 

それはともかくピーナッツで韻を踏んでみるとビーバップ…つまりトオルとヒロシに繋がっていくんだけども、最近の若者には通用しそうもないのでこれ以上このネタを広げていくことを断念しないといけないことが少々口惜しい。

 

うん、我ながら伝わりそうもない駄文に仕上がったことに満足感&安堵感を感じながら本日はこのままフェードアウトしていこうと思う、皆さんも良き一日を。