個人的な考えだけどもね
こんなblogにでも書いていさえすれば、ポツポツとでも読者は増える。
Twitterやらなんやらしなくても。
それでいいと思ってる。
寧ろそのほうのがいいとすら思っている。
のんびり気長にやっていこう。
さぁ今日も日課の祈りと自己暗示を終えたところからの出たとこ勝負的blogの執筆に取りかかろうか。
なんもないよ、ネタなんて。
なんもないからこそ、なんでも書けるという面にスポットを当てると、これまたどこからともなく勇気が湧いてくるから人間の心理というヤツは、げに摩訶不思議なものだと実感する。
精神を制する者は現実を制する
との経験から第六感にコンタクトした結果出てきたこのある意味真理とも言える法則に、自分は微塵の疑いも抱いていない。
大体において大きな成功を収めた人達は、つまり現実を制した人達は、精神世界に精通しているのは色々と調べてみるとたしかなことだ。
今まで自分が実際に会ってきたそれなりの成功を手にした人達の事務所には、神棚やら仏像とか、とにかくそういう精神世界的なものを象徴するような物が、大事に祀られていた。
逆に、そういう精神世界を馬鹿にしているような人達は、年は食っててもどこか、言ってみれば精神年齢の幼さを感じて、尊敬するには少しなにかが足りないように思ってしまうところがある。
精神世界と現実世界は陰と陽、裏と表、月と太陽的な関係にある。
どちらが大事、というのではない。
どちらも大事なのである。
端的にいうと、
原因は精神世界で生まれ、結果は現実世界に出てくる
ということであるように思うが、どうだろう、間違ってるかな?
結果にばかり目を向けるというのは、例えば見知らぬ道を左側だけしか見ずに歩いているようなもので、右側にあるものを一切見ていないのと同じこと。
もしかしたら、右側に更に良い道があるかもしれないにも関わらず。
そんなことでは辿り着けない場所というものがあって、その場所こそ皆が幸せになれる楽園であるといっても過言ではないと、自分では感じている。
別にいいんだけどね、アホなことを言う奴だ、なんて思われても。
全然痛くも痒くもないからさ。
自分で勝手にそう思って色々と実践していっとけば、自分は満足できるから。
しかしせっかくこうしてblogと出会って見知らぬ誰かに何かを伝える手段を手に入れたんだからね、なにか伝えたいと思うのが人情というもんだろう、と思うわけだ。
共感するも反感をもつも、取るに足らない与太話だと黙殺するのもね、自由だからね。
だから言う側も自由に言わせてもらわなくちゃフェアじゃない。
精神世界を制す者は現実世界を制す