よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

やる気は自己暗示にて

 

昨日とはうってかわって青空が広がっている。

雨も悪くはないが、青空を見てると気分も晴れてくるのでね。

自然が人間に与える影響とは心身共にだね。

 

 

とか思いながら、本日も日課のblogをこうして書いている。

もちろん現時点でも何を書こうか決まってはいない。

成り行き任せの出たとこ勝負な文章書いてくよ、今日も。

 

やる気。

これはねぇ、ないと何も始まらないね。

 

逆に言えばあれば大概のことは始まっちゃうね、マジで。

 

さすがに今から小学生に戻りたいなんてのは今のところは無理だけど、もうちょっと時が経ってゆくとそういうのもやる気でなんとかなっちゃう時代になるかもね。

 

やる気が起こらない時はなにもしないでもいいんならば、やる気が起こるまで待てばいいし、起こらなければ起こらないでそのまま死ぬまで過ごすのも別にいいんじゃないかと思うんだけど、社会で生きてくにはそんな悠長なことは言ってられないというのが現実というもの。

 

やる気が起こらない時でもやらなきゃいけないことなんて山ほどにある。

わかりきったことだけども、やる気を起こさずに何をやったってベストなパフォーマンスを披露することはできっこない。

 

ベストなパフォーマンスを披露できないということは、おそらくベストな評価をいただけない。

 

そうするともうこれが運気の坂を転がり落ちていくことに直結していくのだから恐ろしい。

 

 

一度転がり始めると歯止めをかけるのは無理ではないけど少々骨の折れる面倒な作業で余計な消費を色々な方面でしてしまうのでよろしくない。

 

そういう余計なことに時間や労力を割かなくてもいいように、そしてベストなパフォーマンスができてベストな評価をいただけるように、やる気を全開にして事に当たるのが、自分の場合には幸運の上り坂をえっちらおっちら登っていく原動力となっている気がしている。

 

不運は下り坂、幸運は上り坂だと相場は決まってる。

 

朝、起きたらまず、自分に暗示をかけるようにしている。

自分はやる気に満ちている

と、いうふうに。

 

そうすると、あら不思議!

 

いろいろと前向きな気持ちが湧き出てきて、億劫な気持ちは消えてゆき、未来に待っているのは希望だけのような心持になってくるのは自分の暗示が強烈なのか、ただ単に自分が単純なだけなのかは知らないがそんなことはどっちだってよくて、やる気が出てくるという結果だけが重要なこと。

 

自己暗示はね、うまく使うと素晴らしい結果を産み出すお金のかからない、すこぶる即効性のあるものであって、それゆえに諸刃の剣でもあるのだけれど、うまくすれば奇跡さえ起こしかねない可能性を秘めているものだから、用途を間違えないように細心の注意を払いながら、できるだけ単純でシンプルな言葉で潜在意識に刷り込んでゆくのが、まぁ王道。

 

そんな感じで自分は日々の始まりを、感謝の祈り自己暗示に数分を費やし、気分よくスタートさせることの積み重ねが、人生を豊かにしてくれるものとして疑わず、やる気に満ちたところから出発することをよしとしているのであった。

 

単純に考えて、気分悪く始めるよりも、気分よく始めるほうのが良いに決まってるよね(笑)