絶妙なカクテル
場合によっては謙虚なフリもするけれど、基本的には自己中心で厚かましく、図々しいというような自分の性質上、あんまり物事にウジウジと悩むことがないのは幸せなことだ。
なんかあったらすぐ開き直るというこの単純明快なる思考回路は持って生まれたものらしい。
遺伝子に感謝しなくては。
他人に面倒な奴だと思われることは、面倒を避ける為の一つの有効的な手段であると思っている。
自分が仲間だと認識している人間以外にどう思われようが無頓着。
全ての人に愛を、なんて高尚な思想は持ち合わせていないし、またそれが必要だとも思わない。
眠たい話は好きじゃない。
自分は森にひっそりと暮らしている妖精でもなけりゃ、悪人が一人もいない楽園で暮らしている神々でもない。
この地獄の餓鬼道とも言うべき娑婆に生息している一匹のただの俗物である。
そんな俗物に高尚な思想を持たせるとどうなるか。
待っているのは絶望、失望で鬱まっしぐらという可能性は非常に高い。
よほどの域に達観していない限りは、全ての人に愛をなんていう考えを持ってしまうと、自分が全ての人から愛を受け取れないという事実に矛盾を感じ、なにやらおかしげな精神状態に陥ってしまうのが関の山だろうくらいに思ってる。
だからそうならないために、自らを俗物に留めておき、全ての人に平等な愛をなんて素晴らしい理想は背負い込まず、自分が嫌われたくないと思う人間以外の全ての人間に嫌われても構わないくらいの気持ちは持っていたい。
好んで揉めることにメリットを感じないのと同時に、好んで馴れ合うことにも別段メリットを感じない。
いや、メリットがないこともないけれど、デメリットと秤にかけてみたらデメリットのほうが重たく自分は感じるだけの話。
モラルも大事だろうけど、場合によっては現実を相手取った時にそのモラリストぶりが不運を招く場合があるので、そこは臨機応変に切り替えながらやるのがベストだろう。
表裏一体、陰陽の法則、ほかにもいろいろあるが、この娑婆で生き抜いていくには、泥水をすするたくましさも必要だよね、実際。
清らかな清水だけを飲もうとしたって無理なんだから。
求めるものも現実的に設定しないとお花畑じゃ後々苦しくなってくるだけだもんね。
まあ世の中は甘くないってことだろうね。
かといって苦いだけでもないところがこの人生を面白く感じさせる、
苦味と甘味の絶妙なカクテルだと自分は感じているということを言いたかった今日のお話。