よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

万人受けはしない人間

血液型はBだ。

だからなのかどうだかは分からぬが、自己中心的な考え方を自分は持っている。

別段それが悪いことだとは思っていない。数ある人間の性質の中の一つであって、寧ろそういう手合いもないと世の中は成り立たないだろうとさえ思っている。

自分でも図々しいところがあるのは自覚していて、それをうまく利用しているところもある。

ついでに言うとわりと強烈な我儘さも懐に忍ばせており、あげくの果てには、したたかさを可愛げでカモフラージュしながら自分の思い通りにことが運ぶように立ち回ることに、一種の快感さえ覚える始末である。

我ながらろくなもんじゃねえな、と感じることもないことはないが、それは十の内、一か二くらいのもので、あとは「それくらいじゃないと、世の中やっていけねえよ」という気持ちが八、九ある。

時折出会う、他人に過剰な気遣いをせねばきまりが悪いとでも言いたげな御仁を見ていると、建前で、「立派ですねぇ」くらいのリップサービスはして見せるが、内心では「ばーか」と鼻で笑っているのである。そりゃあ、最低限の気遣いは必要ではあるが、度を越して自分が窮屈になったって誰もアンタのことをいい人だなんて思ってくれやしないのが、この世の中ってもんだ、と声が喉まで出かかるが、そこは余計な口ということで、ぐっと飲み込む。

こうして書いていくと、自分の性格の悪さが如実に現れてくるようで、清々しい。

たまたま気まぐれで人に親切にした時などに、「優しい人ですね」などと言われることもあって、ははは、と笑ってその場をやり過ごすのだが、実は内心心苦しく後ろめたい気持ちになったりするようなしないような。

いい人という称号は自分には重たすぎる、無用の長物だ。メッキを張ってしまうと剥がれるのを怖れなくてはならない。そのような心理状態は精神衛生上よくない。

あくまでも、したたかで、計算高くズル賢い奴であることが心にゆとりをもたらすのである。

自分は他人の相談にのって、生意気にもアドバイスをすることもあるが、こんな性悪だからこそできるのだと思っている。いい人なんかに思われてしまおうものなら、やりにくくってしょうがない。リップサービスオンリーに終始しなければならなくなる。

しかし世の中というのは不思議なもので、こんなとんでもない野郎でさえ好感をもってくれる奇特な人が確かに存在するのである。

ゲテモノを食すのが好きな友人の美人な奥さんがいるが、本当に人の好み、価値観は多種多様なものだなぁと思うとき、どんな人間でも広い世界のどこかには、受け入れ認めてくれる人や、組織があるはずなので、色々と悲観的になる前に、今はこうやって世界中に繋がることができるネットもあるわけだから、自分を受け入れてくれる世界を探す努力をしさえすれば、道は開けてくるんじゃないか、と、どうしようもない人間である自分は、自分に日々こう言い聞かせるのである。