よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

音楽で豊かな心を養おう

おはようございます、無駄無し屋です。

 

僕は朝の食事時には必ず音楽を流しながら、一日の始まりを気分よくスタートしています。

音楽はいいですね。

最近、美空ひばりのCDを買いました。これです。

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裏面

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ひばりがまだ10代の頃の録音の古い音源を使用している為、当時の雰囲気がよく出ていてアナログ人間の僕にとっては満足のいく買い物でしたね。

特にファンというわけではないのですが、いざ、じっくりと聴いてみると、歌のうまいことにビックリします!

現代においては、歌手が歌がうまいのは当たり前という常識はもはや通用しないといった感があるように思うのはきっと僕だけではないでしょう。

加工技術が進んだことにより商業的には成功といえるのでしょうが、まぁどこか残念な気がしないでもありません。

このCDはトータル的に良かったのですが、個人的には10曲目の、「りんご追分」がお気に入りです。

今はスマホで好きな音楽を気軽に聴くことができる時代になりましたが、僕が小学生の頃、昭和の終わりごろになるわけですが、よくカセットレコーダーをテレビの前にセットして、家族の人達には声を発しないようにと、よくよく念を押した上で、歌が始まると赤色の録音ボタンをポチっと押して歌が終わるまでの数分間を息を潜めて待ったものでした。

成功することもありましたが、横で姉がくしゃみをしたり、事情を知らぬ母が台所から戻ってきて空気も読めずデカい声で喋り出したりと、不本意なイレギュラーもよく発生して、その度にケンカをはじめなければならぬ状況へと追い込まれたのも今となっては懐かしい昭和の一コマです。

 

音楽というものも、手軽に手に入るものでは今よりはなかったですね。

しかしなんでもそうだと思いますが、苦労して手に入れたものには愛着が湧くのが人情というやつです。

姉のくしゃみや母の無慈悲な駄弁が混ざったテープでも宝物のように大事にし、夢中になって何回も聴いて楽しみました。

 

20代の頃にはHIPHOPを好きになり自分でリリック(歌詞)を書いて小さなクラブでラップの真似事のようなライブも経験しました。

ターンテーブルを手に入れるとレコードが欲しくなるんです。

当時はtechnicsのデジタルターンテーブルと従来のアナログターンテーブルを所有していましたが、便利なのはデジタルのほうでしたが、面白いのは断然アナログのほうでしたね。

レコード集めは、子供の頃の音楽を必死に求めるそれと同じ類いのもので、一枚のレコードを手に入れる為に、車で一時間以上もかけて店に足を運び、手に入れた瞬間は小躍りでもしたい位の喜びと興奮を内に秘め、クールに装って代金を支払うと飛んで帰って、ターンテーブルにレコードを乗せ、針を落としました。

音が鳴り始めると鳥肌が立つような素晴らしい感動と出会える時もあれば、途中で音が飛んでしまうという、これまた少年時代と同じように不本意なイレギュラーに出くわすこともしばしばありました。

中古品なのでそういうこともありうるわけです。

 

三十代になると、同じブラックミュージックでも、ソウルやブルースに興味が移行してゆき、それが今度はジャズ、ボサノバとあまり一つのジャンルに深く入っていくよりか、広くまんべんなく音楽というものを楽しむようになりました。

今では日本の歌謡曲でも、よく知らない外国の民族音楽でもなんでも、その時の気分に応じて聴いています。

きっと死ぬまで音楽は聴き続けることでしょう。

 

心が音楽を欲しているのを感じます。

世の中のデジタル化は便利で良いところもたくさんありますが、些か殺風景な感じもするのは否めないところなので、そういった処を音楽なり書物なりで補うことでバランスを保ち、豊かな心、人間らしい心を持ちつつ平成の次の時代へと明るい希望をもって進んでゆきたいものです。

 

今日はこの辺で