向き合う姿勢
昨日でブログ記事の投稿が20となった。
あっという間だ。
自分的にしっくりとくる文体を探すため、10記事ずつ変化をつけながら書いて、試している。
20記事なんかまだ生まれたての雛のようなもんだ。
自分にはいろいろな面がある。
その、いろいろな面をどうにかして、違和感なく融合させ、表現へと繋げていけるかが、課題だ。
たかがブログ、されどブログ。
しかし考えてみるといい時代になったもんだ。
ブロガーなんて洒落た呼び名があるらしいが、いわばこれも昔風に言えば物書きの端くれである。
ネットが普及する前は、自分みたいなどこの馬の骨かわからんような輩が文章を書いて、それを人様に読んでもらう術などなかったはずである。
才能ある無名の物書きが、どれほど陽の目を見ることなく消えていったことだろう。
そういう意味で現代の人たち、自分も含めて恵まれていると思う。
ものを書いて飯を食うことが簡単になったんじゃない。
平等にチャンスを手に入れることができるようになったということだと、勝手に解釈する。
自分の中のイメージでは、日本の総理大臣を選ぶシステムから、アメリカの大統領を選ぶシステムに変わったようなもんだ。
幸運にも自分はこのブログとは全く関係のないところからすでに不労所得というものを、得ている。
まあ、粗衣粗食である自分が最低限生きてゆける程度のものではあるが。
しかし、このブログはそんな暢気な暮らしに刺激を与えてくれる良い出会いであった。
真剣勝負、というものが好きだ。人生に充実感を与えてくれるから。
人の為になるような記事は目指すが、それは一義的なものではない。
あくまでも、自分が真剣勝負をして完全燃焼するためというのがいちばんだ。
その結果が、人のためになるということになれば、それがベスト。
どこまでゆけるか試してみたい。
まだいろいろ分からないことがあるので、金が生まれるシステムはこのブログには導入されてはいないが、そのうちそうしていこうと思っている。
金は生活に必要なものであるだけでなく、こなした仕事に対する評価でもある。
これほどわかりやすい評価はないと思っている。
自分は仕事が好きだ。
やらされる仕事ではなく、自ら進んでやる仕事が、である。
なのでこれを仕事とするための努力、研究に、今ある有り余る時間をあてがい、一過性のものではなく、生涯を通してやっていけるものにしていきたいと思っている。
三年後の自分の文章が楽しみだ。
その期待を裏切らないための今だ。
長いスパンで物事を見なければならない。
これで飯を食うための戦略というものが、数多くネット上に書き込まれている。
どれも金を稼ぐためには大事な戦略なのだと思う。
しかし、ブログの本質はあくまでも文章である。
なので文章を磨いていくこと以外は考えないことにしている。
自分は、自分の満足のゆく表現に辿り着きたいというところで日々、試行錯誤という、生みの苦しみと向き合いたい。