謎は魅力
こんにちは、無駄無し屋です。
今日はいい天気です。
こうしてブログを書いている僕の横には猫が一匹丸くなっています。
ふと、モゾモゾと音がするので、見てみると一心不乱にフミフミしていました。
機嫌がいいのでしょうか。
ウチに来て一年くらいになります。
夏目漱石の我輩は猫であるではありませんが、この猫には特に名前はありません。
名前をつけないことに特にこだわりがあるわけではありません。
ただ、猫の立場からしたら、名前などというものに、たいして関心を持っていないように感じるのでつけていないだけの話です。
やたらと、にゃあにゃあ鳴くタチであることから、あえて呼ぶときは「にゃあちゃん」と呼ぶことにはしています。
この、「にゃあちゃん」に限ってのことではないのでしょうが、まあ猫という生物はよく寝るものです。羨ましいを通り越してウンザリ感さえ覚えるくらいに。
時々寝言のような声を発することもあります。
猫も夢を見るんでしょうか。
この白黒ハチワレの通称にゃあちゃん、なぜか部屋の掃除に使うあの「コロコロ」を異常に恐れます。僕がそのコロコロを手にした時のにゃあちゃんの表情たるや、さながら映画でよく見るピストルを突きつけられたマフィアの下っ端の如くであります。
これといって、このコロコロでにゃあちゃんを折檻したこともないのに、ここまで怖がるのは、如何なる心理からの主張なのでしょうか。
猫の気持ちはわかりません。
さてここから今日の本題に入ってゆこうと思います。
先程の猫でも夢を見るんだろうかという疑問も謎ですが、人間が見る夢というものも全くもって謎だらけな現象です。
僕が最近見た夢の中で、一番意味不明だったのは、宇宙人の子供を偶然発見してしまい、そこからUFOがバンバン現れるようになって、しまいにはその宇宙人たちから、追いかけられるというものでした。走って逃げているところ、なぜかインパラというアメリカの、いわゆるローライダーと呼ばれる類いの人たちから人気のある車で追いかけてきていました。
なにも悪いことをしていないのに、本当に迷惑な夢でしたが、どういう理屈であのような夢が構成されているのか、理解に苦しみます。
夢を見ている時は、「これは夢だな」と、認識しながらその展開されるストーリーに乗っかっていくこともありますが、夢だと気づかせないリアリティのある夢もあります。
科学的には色々と言われているようではありますが、それもどこまでが本当かと考えたときには、全てを信じるまでにはいまいち決定力不足な感があります。
なにかの本の中に、見たい夢を見ることができるようになったということを書いてあるのを読んだことがありますが、そういうことが本当に可能であるならば、寝るという行為も、今でさえ楽しいのに、更に楽しめることになりそうです。
夢。なんなんでしょうかねぇ。
たぶん自分の中では一生謎なまま終わっていくような気がします。
でもいいんです。世の中には謎なことがあったほうのが面白い。
すべてがわかってしまうのは退屈しそうです。
手品と同じでわからないからこそ魅力を感じることも、ないと困ります。
今日はこのへんで