よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

嘘つきなんです


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こんばんは。

夕暮れ時に橋の袂でたそがれるのも日常的な営みの一つとする無駄無し屋です。このような場所が生息地にあることをすこぶる嬉しく思います。

 

さて、本日は「嘘」ということについて少し書いてみようかと思います。

 

皆さんは嘘つきですか?それとも正直者ですか?

 

かくゆう私は嘘つきも嘘つき、大嘘つきでございます。よくもまぁこうも思ってもいないことを素知らぬ顔していけしゃあしゃあと口にできるなぁ、などと我ながらその辺に関しましては良いとか悪いとかを凌駕して、ただただ凄いな、というふうに感心致すところです。

 

この世の中におきましては、嘘つきは泥棒の始まり、という言葉があるかと思えば、正直者は馬鹿を見る、というような言葉もありまして、そのどちらかに一辺倒な方は、やはりどちらにせよ残念な方と評するしか選択肢はないのではないでしょうか。

 

私はその昔、正直者でした。

美化して言えば、汚れを知らぬ純粋な生き物、ということになりましょうか。これは意外と衝突が多くて厄介なスタイルだったと、今にして思えば振り返ることができますね。

 

世間というものを衝突を重ねながら半ば強引に突き進んでいくうちに、時と場合によっては嘘をつけないと誤解や衝突を招くのを回避できないことを知ってしまいました。それまでの私ときたら本音一本という大変端から見れば迷惑&危険な存在であったことでしょう。その場を凍りつかすような発言もしばしば。

まぁそれはそれで場合によっては必要なこともあるのですが、毎回毎回凍りつかせていてはエスキモーとあだ名されても反論の余地がありません。なので、本音は奥の手として、通常運転は嘘でもなんでもいいからなるだけ摩擦がおこらないように配慮するようになりました。

 

例えば自分を上げるための嘘は格好悪いと思います。しかし自分を下げる嘘であるならば、それは誰にも迷惑をかけることもないですし、事がうまく運ぶことが多いので大いに使えばよろしいのではないでしょうか。

 

仮に他人の子供を見て、正直「この忌々しい馬鹿ガキが」なんて思ったとしても、「まぁ、可愛い坊っちゃんだこと」くらいの嘘はついておかなければ事はうまく運びません。

 

ある意味では女性のお化粧も嘘と言えないこともないでしょう。本質的なところから化けて魅せるわけですから。演技も嘘。同調も嘘。社交辞令も嘘。こうして見ますと世の中は嘘で回っていると言っても過言ではない、と言えると思います。

 

これは要は次元の問題といいますか、その次元の高い嘘であればその場はうまく運び、反対に次元の低い嘘であれば他人を傷つけたり、自分の価値を落としてしまいかねない、というふうになると私はこれまでの経験から考えるのです。

 

今現在も嘘がつけないばっかりに損をしながら生きている方は、自分の固い頭をよくこねて柔軟にし、私は俺は不器用なんだ、などと逃げていないで、もっと前向きに、アグレッシブに嘘をついたほうのが楽しいしラクになると思います。

反対に嘘ばっかりついている人は、すこし自分の発言に責任をもつ習慣をもつようにしなければなりませんね。

 

粋で上手な嘘をつけるように日々練習することが、幸せに近づく方法の一つだと私は信じて疑いません。