よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

春は喜びの季節でありたいね

 

段々と季節は春の模様を呈してきている今日この頃。

 

春には新しい芽が出てきて生命の息吹を感じられる、

期待に胸を膨らませることが可能な一種独特の高揚感がある。

嫌いな季節はないけれど、春には春にしかない良さがある。

だから春を目一杯楽しみたい。

 

自分の現実世界においても、新しい芽が出そうな感じがチラホラ見てとれる。

こういう時は、植物を育てたことがある人は解ってくれると思うけど、手放しでまずはその新しく出てきた芽を喜びたいと思うところから全てが始まってゆく。

 

春というものはそういう気分から始まってこそ春である、とまで思ってみたりもするほどだ。

芽が出さえすれば、あとはその芽に適した栄養と環境を与えることで、どんどんと成長してゆく。

成長過程を観察するのはこれはすこぶる面白く神秘的であり、こちらの好奇心を存分に刺激し満たしてくれるのは対象が人であろうが植物であろうが全く同じである。

 

成長してゆくものを眺めることは、朽ちてゆくものを眺めるよりも精神衛生上良い。

自分もエネルギーを貰えるような気がする。

いや、気がするというような漠然としたものじゃなく、確実に貰っている。

だから成長している人や動植物や会社や志をたくさん自分の身の周りに置きたいと常々思っている。

 

成長とはそれ自体がプラスのエネルギーだ。

プラスのエネルギーが集まる場所があればそこは間違いなくパワースポットとなる。

もう少しマニアックな形容をするならば、イヤシロチという表現も面白い。

そんな環境を目指して日々のらりくらりとしているようで、人知れず策を練り、動き、イメージを現実のものにするために少し常識の枠からあえてはみ出していきながら発芽を促してゆくのが日々の楽しみの一つでもある。

 

人生なんて長く生きてゆけばゆくほどに辛い経験をしなければならない。

最愛のものとの死別、自分の体の老化、などと挙げだしたらキリがなく気分も沈んでくるのでここまでにしておいて、とにかく色々ある。

そんな色々を相殺できるほどの喜びの一つでもなけりゃ、とても人生を前向きに生きてゆくことなど、自分には不可能だ。

だからこそ色んな成長を眺めるというわりと健全な趣味が必要なのである。

 

はるひこ、という名前の友人が七年ぶりに自分の前に姿を現した。

なかなかのポテンシャルを持っているこの「はるひこ」という人物が春に訪れるというのもなかなか乙なものだとその成長ぶりを眺めてみたく、今、思っている。


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