よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

キーワードは赤い文字


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たとえば文章を書くのも絵を描くのも車をカスタムするのも洋服をデザインするのも、基本的な姿勢、心がけというものは共通するところがある。

 

あんまり横文字につよいほうではない自分でも、クリエイティブという単語くらいは知っている。

つまり今挙げた行為はすべてクリエイティブな営みという処で共通点が見出だせる。

 

自分はこうして今ブログサービスを通じて文章を書いているが、友人には絵描きもカスタム屋もアパレルブランド背負ってる人間もいる。

 

表現の手段は違えどお互いを刺激しあえる良い関係だと思っている。話が合うしね。

そんな仲間達の中では自分が一番スタートが遅かった。

まず、一足先に土俵に上がって七転八倒しながらも、沈まず踏ん張っているこの友人達に心からの敬意を表したいのよ。尊敬。かっこよくいうとRESPECT!ね。

継続してゆくことはそれだけで大変なことなのをこの目で見せてもらっている分、自分にはちいとばかしのアドバンテージがあるのかもしれないと思うし心の準備は万全だ。

どうしても一番最後に登場して一番最初に沈んでゆくのはどうもバツが悪いし、できることならば誰も沈まずに皆が浮き上がることになるのが理想的なパターンとしてイメージの中にある

 

クリエイティブな営みはある意味孤独だし、結局は自分の実力ありきなことは現実だ。

しかしそれでも仲間は必要だ。

あの水戸黄門も、助さん角さんがいればこその、いいや風車の弥七や、うっかり八兵衛でさえもいないとトータル的に良い旅にすることはできないであろう。

お互いをリスペクトすることができる仲間が数人いればなんとかなるもんだと思っている。

自分にないものを持っている人は自分にとって都合がいいし、その逆もまた然りだろう。

義理や人情も嫌いじゃないが、その前にお互いがお互いにとって好都合であることがまず前提としてないがしろにしてはいけない処だと考える。ドライなようだけどこれは本音。義理人情はそれからの話。

綺麗事では事は成せないからね。

何かを持っていないと可能性は感じない。その何かを持っている人間が集まって、うまく融合というか調和がとれれば一人ではなし得ないことが成せるのは、頭では解っていても実際はそう思うようにはいきはしない。

が、しかしそれぞれがそれぞれの世界で技を磨いていれば、タイミングというものが生まれてくる。

そのタイミングに自分も乗り遅れないように日々こうして技を磨く。

不馴れなキーボードも最近ではわりとスムーズに叩けるようになってきた。

打ち込みの時点で手こずっていては内容以前の問題で話にならないからね。

余計なストレスなくキーボードを叩けるようになることの重要性をやってみて始めて知ったよ。

実践だね、実践。なんでも。

 

今日も友人達は見てくれているかな。このブログを。

このはてなブログの中の読者の人達が読んでくれるのは、嬉しいし励みになる。

検索エンジンからやって来る人も未だ少ないながらもゼロでもないみたいでありがたい。

そしてリアルでの仲間も数人読んでくれている。

先行き不透明な道を選んだ、もしくは導かれた同志に何か一言言っておきたい。

 

「自分に見合った恵みと導きが与えられると信じて精進すべし

 

長々しくなってしまったけれど、今日はこれが自分が四苦八苦しながらも導いた一言でっす。

産みの苦しみを今日もなんとか乗り越えることができた開放感と清々しさに辿り着く