よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

人間だもの

たとえば、三日間風呂に入ってない人の脇の下の臭さというのは好みではないけれど、人間が醸し出す、体臭とは違う、どう表現すればよいのか雰囲気とでもいうべき人間臭さというものはめっぽう好みの部類に入る。

伝わっていなければ残念であるが、とにかく、甘かろうが辛かろうが苦かろうが、味のある人間が好きということを言いたいのである。

 

味気のない料理は病人か囚人か修行僧だけが義務的に口にしなければならない、いわば招かれざる客のようなものだ。

健全でいて謙虚を美徳とする我々善良なる一般の日本国民はビフテキ、もしくはカップラーメンなどという、これでもか、と味のするものを好むのが普通ではないか。

それと同様にとなるのかどうかは知らないが、人間にしても味のない、毒にも薬にもなりそうもないのを好む人は元来少ないのではなかろうか。

 

人間の味とは何かということだが、これは細かく言えば色々とあるけれど、大きく広くいうならば癖ということができると思っている。

少し図々しい人、すこぶる短気な人、やたらと臆病な人。UFOを呼べるとか言い出す人、金は天下の回りものだと固く信じてる人など。

こういう人達は理屈抜きに高確率で、その持って生まれた癖、節、性質というもので、僕を笑わせてくれる要素を秘めている。

 

人生に笑いが必要であるのは万国共通の理である。

 

しかしその笑いのツボというのはそれこそ千差万別であり、自分のような手合いにおいては一風変わった趣のものを好むわけである。

礼儀正しくものをよく知ってる人はこちらの迷惑になることはない。

嫌いになることはないだろう。しかし別段また会いたいと思うこともないかもしれない。

ところがとてつもなく図々しくて瞬間湯沸し器の如くに短気なわりにやたらと臆病ながらもUFOを呼べるとのたまう金銭に無頓着な人がいたとしたら、その迷惑なること甚だしいながらも、どこかまた会ってみたいと思う気持ちにさせられるのである。

 

人間関係が希薄になるのは精神衛生上よろしくない。

そういう自分は昭和の頑固で行儀と口が悪くてそこらで立ちションなんか屁のカッパでありつつ、顔を合わせればおこずかいをくれたりするおじちゃん達と交流してきて今に至っている。

いわば濃い口の味に慣れてしまっているクチである。

近頃はなんだか物足りない気がしないでもない。

人から白い目で見られたとしても、そんな濃い味な人をこれからも好み探してゆくんだろう自分も、他人から見たら大概濃いのかもしれないな。

と思ってみたりもするのである。

 

人間臭くありたいな、人間だもの。


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