雨の日に
今日は朝からずっと雨だもんで、一日中机の前に座っている。
本を読んでみたり、ブログを覗いてみたり、鼻毛を抜いてみたり、今日の晩飯を予想してみたりと、幸い暇をもてあますということはない。
曜日の感覚というものはすでに失われて久しい。
半世捨て人的生活に曜日の感覚はお呼びでない。
ついでにいうと時間の感覚も一般の方々に比べると乏しいと言える。
腕時計は三年前に人にやったし、部屋に時計は置いていない。
日に2、3度スマホで時間を確認するくらいのものだ。
スマホといっても使い方はほぼガラパゴスケータイと変わらない。
つい2年前まではガラケーとはガラクタケータイの略だと思ってた。
FacebookやLINEを友人に勧められて一時は歩み寄ってはみたものの、どうもよろしく思わず三ヶ月もしないうちにフェードアウトしてやった。清々した気分であった。
理想的なのはスマホも持たず、自分に用事がある人は自宅に手紙を送ってもらうようなスタイルであるが、それは現代において些か現実的ではないと思うあたりが完全体の世捨て人になりきれない所以であろう。
まぁ別に完全体を目指してるわけでもないのでそれはそれでいいのだが。
森の中に掘っ立て小屋でも立てて、ノートパソコンとラジオと本、あと旨い珈琲と紅茶、それとセブンスター位があれば最高なのだが、果たしてそれは実現できるかどうか。
ところでサラリーマンも経験してみたが、これはいけない。
立派に勤めている人には素直に敬意を表したいが、自分はもうやりたいとは思わないし、勤まりもしない。
思えばこれまでの人生の中で明確な目標というものを持ったことがない。
ただ流れに任せて流れてきただけの、これから先もどこへ向かうか皆目見当もつかないその日暮らし。
世の女性からしたら一番ロックオンされてはならない類いの人種であろう。
今まで結婚したいと思ったことは一度もないので世の女性は安心してほしい。
特になんにも求めない暮らしというのは悪いものではない。少なくとも自分にとっては。
将来の不安というのも一度突き抜けてしまえば二度と目の前に立ちはだかることはない。
ただ毎日をこうしてブログを書いたり、癖のすこぶるつよい友人達と時折会話を楽しむ。
無気力とは少し違う、気力に満ちたその日暮らし。
このままを維持して逃げ切ることができれば、自分の人生は最高だったということができる。
果たしてそれは可能かどうか。
そういう試みも人生の楽しみ方の一つだ。
自分がこんなふうであるから、大抵の変わった人の人生観を見たり聞いたりしても別段驚きもしないし、否定的な目でも見ない。
なので友人になる人は世間一般的には少し変わった人達ばかりだ。
周囲の人は僕のことを珍獣ハンターという名誉なあだ名をつけてくれた。
この珍獣達こそ僕のかけがいのない財産なのである。
うちは六時に晩飯と決まっているのでそろそろお開きとしよう。