よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

同期に興味。

 

自分のブログを観察するのも、日課の一つ。

ふと目についた。どうやら自分は今年の1月の6日に、このブログで初投稿をしているらしい。

なんだかもうすでに遠い昔のことのように感じていたけれども、あれからまだ二ヶ月も経っていないとはね。

いろんなブログを読んだり読者になったりとしてきたんだけど、内容が面白いとかそんなことはどうでもいいくらいに気になる人たちがいる。

それは自分と同じような時期に始めている人たち。いわゆる同期だよ。気になるね、なんだか。

ブログは敷居は低いが続けることが難しいというのが、どうやら一般的みたいだね。

毎日更新してる同期を見ると微笑ましい心持ちになると共に、自分も、と励みにもなるし、更新が2、3日途切れた同期には、まさかこのまま消えてくつもりなのか?などと心配したりする。

不思議なものだ。別に知り合いでもなんでもない、ただ、同時期に同じように同じことを始めたというだけで、気になる。

時々、想像する。この同期のブロガーたちの三年後とかを。何人が生き残ってるのか。

どんな駄ブログだとしても、仮に3年も続いていれば、たとえばアドセンスなどでお小遣い程度は稼げているだろうし、それなりの読者も掴んでいることだろうと予想ができる。

よけいなお世話なんだろうけども、こういう予想も含めてのブログを楽しむということなんだ。

なるべく多くの同期に生き残ってもらいたいと思うのは、ごく自然な感情だよね。

自分の心配しろよって声が聞こえてきそうだけど、僕は3年なんか余裕で続ける自信があるからね。なにせ、別段いい記事を書こうとも思っていないし、これが収入にならなくても別に構わないから、気が楽で、そもそもいい記事は書こうとするもんじゃなくて、続けていく過程で段々と、ごく自然に書けるようになってくるもんだと思ってるから、現時点でいい記事が書けなくても、全然いいんだよね、なにせまだ50記事も書いてないようなトーシロなんだから。

まともな文章を書けるようになるまでに必要な時間は三年、記事数でいうと1000

というふうに勝手に設定してる。

ここまでやってなんの成果も変化もないのなら、はじめてヤメルという選択肢も視野に入れるのも悪くないかもね。

それまでは、とにかく続けよう、カッコ悪くても不様でも内容が薄くても、止めない限りは生き残れる。

書くことないなら一言「今日は晴れだった」でけでもいいんじゃないの、とりあえず。

とか思っちゃうけどね、書かない癖をつけるよりかはマシでしょ。

他人の為になるような記事を書けるようになるまでには時間がかかると考えるほうのが自然だね。

誰にも読まれないという事実は、今のうちに色々と文章の練習ができるいい機会だと思うこともできるしね。

常に100人位に読まれるようになっちゃうと、もう下手なこと書けないよ、ってなっちゃいそうだもん。僕なんかはまだ読んでくれる人なんか実質10人もいないような状態だけれども、この状態だからこそ、いろいろとチャレンジできることもあるんだよね。

今、読んでくれてる人たちには悪いけど、とりあえず3年付き合ってもらいたいな。

その頃には読みごたえのある記事をバンバン書けるようになってる筈だから。

僕に3年付き合えるってことは、そちらも生き残ってるってことだからね。
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