タイトルは先か後かという選択
さて、今日この記事で、とりあえずの目標であった30記事連続投稿を達成することとなった。
率直な感想として、あっという間だったな、というふうに思う。よし、次の目標に向けて気持ちをあらため書いてゆこう。
ところで一口にブログを書く、といってもそこには様々なスタイルが存在している。
その中の一つに、タイトルを先に考えるか、後で考えるか、というのがある。自分の場合は大体タイトルは出来上がった文章を読んでからつけることが多い。これは好みの問題だろう。
しかし、気分転換という意味で、今日はタイトルを先につけてから、この記事を書いている。どちらにも、悪いところは特に見つからないが、良いところはそれぞれにある。
先にタイトルをつけるのは、明確な答えに向かっていく感じで、文章を作り易いように自分は感じる。一方、後でタイトルをつける場合は、頭の中には漠然とした青写真はあるものの、書いている途中で路線が変わってきて、出来上がってみれば、自分でも意外な感じの記事ができることが多く、面白い。自由度が高いスタイルのように感じる。
毎日記事を書くのだから、飽きがこないように工夫が必要だ。飽き性な自分などは特にその点には配慮を怠らないようにしないと、すぐに飽きてしまう困ったタチなのだ。
しかし、逆に飽きがこないうちは、かなりの集中力を発揮することができるという強みも持っているので、ブログを続ける上で一番気にしないといけないのは、ネタを考えることなどではなく、如何にして楽しいという気持ちを、馬の鼻先の人参にして、自分を走らせるか、ということに尽きるのである。
今日は10記事ぶり位にタイトルを先につけた。与えられた課題に対して色々と書いていくのは、勤め人の気持ちに近い。会社があって、そこから自分に割り当てられた仕事をこなす、あの感じに。
自由をすこぶる愛する自分でも、時にはある程度の縛りというものの中で仕事をするのも悪くない。常に、となれば苦痛でしかないけれど。
タイトルに試されているような気分になる。
「こういうタイトルでどんな記事を書くことができるんだ?お前は」
というふうに。
そこで「上等じゃないか、やってやろうじゃないか」
と、気分が高揚してきさえすれば、しめたものだ。後はその勢いに任せて一気に突っ走る。興に乗りさえすれば文章を書くのは、そう難しいことではない。難しいのは、その興に乗せるまでなのである。
後でタイトルをつけるスタイルは、途中の進路変更も許される、いわば、行き当たりばったりな出たとこ勝負な感がつよく、基本的にはそのスタイルが性に合ってはいるものの、例えばの話、ラーメンが大好物であったとしても365日がラーメンではキツいのと同じで、時には納豆に味噌汁、それに白いご飯を食したいと思うのが普通の感覚ではないか。
その、時には違うものを取り入れることで、本来の好物も、好物であり続けることができる、という真理は色々と応用がきくが、間違えても、女房のことを好きであり続ける為には、妾が必要なんだ、というようなところへ、この真理を当てはめてはいけない。
何故ならば、この人間社会は、必ずしも真理が正義であるような構成ではないからである。
まあ、そういう余計なことはさておいて、今日は、記事の書き方のバリエーションを増やすことで、飽きが来ないようにする、ということが言いたかっただけなのである。