よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

段々と消えてゆくblog書きたち

 

自分がブログを始めた4ヶ月前に読者登録していた人たちの中で、今でもコンスタントに記事を投稿してるのはすでにほんの僅かになっている。

 

ブログは継続が難しいというのは事前の下調べで知ってはいたけれども、実際に月日をかけてその様子を見ていると実感が湧いてくる。

 

敷居は低いが生き残るのは容易なことではないらしい。

書くネタがないとかなんとかいろいろと止める理由はあるのだろうが、つまるところメンタルの問題となってくるのは明白だろう。

 

モチベーションを保つには一般的なところとして読者が増えるとか、アクセスが増えるというのが主なんだろう。

 

しかしそういうふうに外側に頼っていてはなかなかこのブログを生き抜くのは難しいのかもしれない。

 

アクセスや読者が増えるのは嬉しいことにかわりはないが、いちばんは読者が一人もいなくても、アクセスが常にゼロでも書き続けることができるかだ。

 

他人が読んでくれるから書くというのは一種の甘えのような気がしないでもない。

読者やアクセスはお金と一緒で結果的に後からついてくるものと解釈しておかないと、とてもじゃないが継続は無理なんじゃなかろうか。

 

記事を書くのは孤独な作業である。

スターやコメントを貰うことによって人との繋がりがあるように表面的には思えるが、結局は孤独な道なのだ。

 

結果を急いではいけない。

必死になってアクセスを稼ぐ方法を探すよりも先に、まずは自分のライティングスキルを上げることに専念すべきだ。

 

1年か、2年か、はたまた3年かかるかそれ以上かは人それぞれだろうが、とにかく仲間ごっこで貰えるスターなんかをアテにして一喜一憂したところでそれは本質から外れてしまっているような感がなきにしろあらずである。

 

人に読んでもらいたいという願望があるのならば、人が読みたくなるような魅力的な記事を書くのが王道だろう。

しかしそれは特別な才能でもないかぎり、はじめて数ヵ月やそこらで書けるようなもんでもないだろう。

 

じっくりと腰を据えて、畑を耕し続けるしかないのである。

芽が出たから畑を耕そうというのは間違いだ。

畑を耕し水をやるから芽が出る。

 

辛抱というものがないと何事も成し遂げることはできないと、断言してもいい。

短期間での成功は打ち上げ花火と一緒で瞬間的なものであって継続性はない。

 

本当にブログで収入を得たいのならば、安易な方法で横着をしようとせずに、ちゃんと苦しむべきではなかろうか。

 

書き続けたところで芽が出るとは限らないが、書き続けなければ芽が出ることは絶対にないのである。