よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

雑な人間から丁寧な人間へ

 

血液型がBだからというとなんか言い訳がましいようで後ろめたいのだが、雑である。

 

そこに気づいてもう三年ほどになるが丁寧にという心がけはあるものの、生まれ持った性質というものはなかなか一筋縄にはいかないようである。

 

しかし、丁寧にという心がけがあるだけで色々と損することなく得する場面のほうが多いように感じている。

 

丁寧に動く、丁寧に考える、丁寧にしゃべる、丁寧に人と接する。

 

まぁだいたいこれくらいの種類に丁寧さを持ち込んどけばなんとかなるんじゃないかと思っている。

 

今日は丁寧に動けたなぁ、なんて日はどこかしら満足感が漂うのでいい。

 

雑さというのはどちらかといえば悪く作用することのが多い。

自分の人間的未熟さゆえのことと解釈して改善してゆくという方向に向かうべきだろうと考える。

 

まぁちょっとめんどくさがらずにやればうまくいくことは生きてていくらでもある。

どうのこうのと言っても損する人生なんてごめんだ。

損得で考えてはいけないとかいう綺麗事は信じない。

得することは悪いことではない。

あまり実践で役に立たない道徳とかを盲信してるとひどい目にあってしまう。

 

おっと、ついまた話が脱線していくところだった。

危ない危ない。

 

とにかく、雑を封じ込めなくてはならない。

人間が伸びてゆくのには何か新しいものを付け加えるのではなく、余計なものを削ぎ落とすことから成るものだと自分は思っているからして、雑さという余計な性質を削ぎ落とすことでまたひとつ人間力がアップするんじゃないかなんて期待がある。

 

まだまだ削ぎ落としたいものが山ほどある。

一つ一つ確実に削ぎ落としてゆき、最終的には自分がどのような人間になるのかというのも人生の楽しみのうちの一つである。

 

自分で自分を育てていく育成ゲームのような暮らしってなかなか楽しいよ。