よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

素晴らしい文章を目指した結果がこれだ


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たまには素晴らしい文章を書いてみたいとの願望が芽生えたので、そこを目指して今日は書いてゆこうと思う。

 

と、いっても別段良い話を持っているわけでもなし、公の場に書いて許されるような体験もパッと頭に浮かんでくるようなこともない、あまり世間の役には立ちそうもないボンクラブロガーであることを自分で否定ができない事実がある。

 

しかし、そんな事実に負い目を感じることが微塵もない強靭なメンタルというか図太い神経だけが、頼みの綱というよりも命綱だ。

 

いいんだ。そんな感じで。

 

世の中には色んな価値観の人がいることくらいはどうにかこうにか知ってはいる。

 

こんな文章でもあわよくば、奇特なご仁の笑いの種にでもなってくれさえすれば貴重な時間を割いて頭を捻りキーボードを叩いた甲斐があるというものだ。

 

他人の笑いのツボというものは読めない。

読めないからこそ 難しく考えても仕方がないので読もうとせずに無の境地がベストなんだろうというふうに思う。

 

 

他人の喜怒哀楽をコントロールするのは快感であることだろう。

 

たとえばDJなら音で、ブロガーならば文章で、要するに聴き手読み手の感情を意図的にコントロールといえば聞こえが悪いが、まぁそういうことだ。

 

でもそれは業界の修羅場をくぐり抜けてきたプロだからこそできる高等な技術であって、自分のような素人に毛が生えたような、いや、毛さえも生えていないようなのはそんな他人様の感情をどうにかしようなんて大それた夢なんか見ちゃいけない。

 

しかし盗人猛々しさには定評のあるこの無駄無し屋。

自分の書いた文章がスベろうがどうしょうがあくまで素敵な勘違いの筋は通し、自分の書いたものは素晴らしい!と思い込む自画自賛系を自負しなくともよいのに自負している。

 

読んでくれている方々からは甚だ迷惑な思考回路だと思われてみたり、忌々しく思われてみたりもするかもしれないが、そんなことには無頓着なところにこの無駄無し屋の存在意義があるのだと思ってもらえれば幸いだ。

 

世の蚤の心臓を持ち、ガラスのハートを自認する弱気弱小妖精ブロガーの諸君はこの無駄無し屋の爪の垢でも煎じて飲むべきなので尾道までやってくることをおすすめするよ、お茶くらいは出すから。

 

 

書いてくうちに気づくのはいつものことだが、もうどうしようもないところまで来てしまっている。

 

しかしだ、ここで、ここまで来て引き返す訳にはいきゃしない。

かといってうまい落とし処を見つけたわけでもない。

またやっちまった。

まぁいいんだ。そんな感じで。

 

素晴らしい文章とはなんぞや、というところを自問自答してみるが答えはあるようでない。

 

究極にはやはり自己満足というところに行き着くのはこの種の文章を書く者の宿命なのかもしれない。

 

だからなにが言いたいのかという突っ込みも甘んじて受けるつもりではあるけれど、実のところ自分自身でも何が言いたいのかが分かっていない。

 

分かってもいないのにこうして文章というものは出来上がってくるところに面白さを感じているので自分はこうして一日一本の記事を書き続けることができている。

 

今日の趣旨から言えばこの文章は力及ばず失敗と判断するしかないのであるが、こうした経験が後に何らかの形で活きてくるのではないかとも思うがこれはあくまでも希望的観測でしかない。

 

いいんだ、そんな感じで。