よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

Bloggers Supiritto ブロガーズスピリット

 

ブログを書く人のことをブロガーと言うらしい。

 

なんだかあまり好ましい語感ではないな。

 

物書きの方が良いな。

 

物書きの端くれ。

 

うん、これが良い。なんかだしっくりとくる語感である。

これからは自分のことを物書きの端くれと呼ぶことにしよう。

自分は別にこの世界で一番を目指しているわけではないけれど、唯一無二は目指している。

稀少価値を勝ち取る為に。

 

世間に認められるか否か。

そこが無意味なことだとは思わんが、そこが最優先ではない。

 

自分の納得がいくか否か。

そこが最優先事項である。

 

自分の納得のいかないもので評価されたとしてもそれは別段愉快なもんではない。

逆に世間に認められまいが、自分が納得のいくものが書けたならばそれはすこぶる愉快なことだ。

尚且つそれで世間に認められるならば最高なだけの話。

でも、どうせやるのならば最高、最善を目指すのが無駄無し屋というものだ。

 

だからまず自分の納得がいる。

そしてその後世間の評価もいる。

 

欲張りなようだが、まったく欲張りである。それを隠すつもりはない。

あからさまにいくのが好きだし、あからさまには突破力があることを実は知っている。

欲望のままに書いていくことこそが唯一無二への唯一無二の道だと思ってるけどなんか間違ってるかな?

まぁ、別に間違っててもごり押しでいくだけだけども。

 

ここまで、期間でいうと二ヶ月半、数でいうと72もの記事を書いてきたけれど、ネタに困ることは今後もないように思う。

ネタ、つまり何を書くかなんて正直なところなんでもいい。

極端な話、今日は寝転んでテレビを見ながら鼻くそほじってました、でも構わない。

 

問題は何を書くか、ではなくて、どう書くかなのである。

そこに頭を悩まし、閃きを求める。

これは無名の自分の、誰が書くかに対する挑戦でもある。

 

端からほかでも替えが利くような情報を発信しようなんて思っておらず、そういうのはそういう方面に長けている人に任せてより良い情報を提供してもらい、自分は他愛のないことでも深く味わいのある表現によって、読む者の心に何らかの刺激を与えるような文章を発信したく思っている。

 

だから唯一無二である必要があるし、稀少価値を求めている。

無駄無し屋の文章は面白いな、考えさせられるな、無茶苦茶だな、との評価をいただけたなら、それは物書きとしての本懐を遂げたことになる。

 

道は長い。千里の道も一歩からであるところの今はまだたかだか72歩でしかない。

一記事一歩。

時間をかけて唯一無二が自然と鍾乳石さながらに出来てくるのをやるべきことをやって待つのみ。

 

いくつになっても真剣勝負というやつは心を躍らせる。

はりつめた緊張感の中に自らを置くことで研磨されていく神経。

ユルい暮らしも嫌いじゃないが、それだけでは刺激に飢える。

ある程度の刺激はこれまでの人生で経験してきたが、執筆によって刺激を享受したことは自分には新しかった。

新鮮な感じがしていい。

 

これで生計を立てようなんて思ってちゃ執筆が弱気になってしまう。

攻撃は最大の防御だと実感したことが遠い昔にある。

だからアグレッシブでオフェンシブで攻撃的な文章を書いていく。

敵をつくるのは昔からそう不得手ではない。

他人を罵る趣味は自分にはないが、他人にむやみやたらと同調する趣味もない。

 

我が道をゆく。自分に正直な文章を書く。それだけ。

 

他人の為=自分の為。

 

それが自分のBloggers Supiritto

 

好ましい語感で言えば、物書きとしての精神である。


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