よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

無駄無し屋イズム

カテゴライズされることを、迷惑&無理解だと感じている無駄無し屋である。

ことあるごとに「仕事は何ですか?」と、聞かれるんだよね。そしてこう答えるんだ。

「仕事は無駄無し屋です」と。

「それはどういった職業なんですか?」と、大抵の人間が追及してくる。まあそうくるわな普通。

「肉体労働も精神労働も知的労働も商売もボランティアも、できることはなんでもやるのが無駄無し屋です」と、嘘偽り加工なしに答えているけど、首をかしげる人も多いよ。(笑)

無駄無し屋というのは、他に類を見ない唯一無二の職種なんだ。どうだ、すごいだろうエッヘン、などと自慢するつもりはない、事実を述べているだけの話なのである。

平成の23年に看板を出してすでに足掛け9年が経とうとしてるがね、沈みそうだと周囲からは思われながらも、なんとか沈まず安定した低空飛行を続けているよ。

その間には何人かの人間が修行がしたい、というふうにやって来たんだけれどもね、無駄無し屋という職業は、スキル云々じゃなくて取り組む姿勢というものを非常に重要視するんで、例えばナメた若造が多少何らかのスキルを持っていたところで、見てないところで横着をするとか、辛抱という概念がない場合は、無駄無し屋を続けることは不可能なんでトンズラしたのもいくらかいたね。

それでも続けてくる人たちは、精神的な成長を遂げて、現実的な成功を大なり小なり手にいれている。

グズでのろまでもいい。姿勢さえ正しければ、あるのは時間の問題だけで、必ず使い物になるのである。大事なのは才能よりも姿勢であるということを、声を大にして主張しておきたいね。

 

どちらかと言えば職業、というよりは精神修行の場というほうのが近い感じなんだよね。

俗世間という修羅場自体が道場であり、ここ無駄無し屋で無駄無し屋イズムを学び、その学びを実践しながら経済的にであったり、人間関係であったりを円滑にしていくことが、まずは目標というかんじでね、そしてそこまで達することができた人は、その達成した目標を手段にかえて、さらに上の目標に向かって精進してゆくのさ。

この無駄無し屋イズムというのは、とにもかくにも全てにおいて、

まずは心ありき

だということで一貫されている。そしてまずは結果よりも原因に目を向ける

目に見える現実世界と、目には見えない心の世界とは、どちらを重要視するかという議論がよくなされているけども、当たり前にどちらも重要な世界であって、比べるべきものじゃないんだよね。

ただ、順序の問題。心の世界が前、現実世界は後ろ。原因があるからこそ結果が出る。

簡単に例えると、惚れちまったという原因、心の世界があって、告白、あとはフラれるなり交際が始まるなりの結果が出てくるんだ。

今まで出会った人間を思い返してみても、意見は、結果を気にするかしないかという二通りであることがほとんどで、原因に目を向けてる人は一割もいなかったな。

原因にも奥の深さの段階があるからね。どこまで深いところの原因を追究できるかが、うまく世渡りをする重要な鍵となるといっても過言とは誰にも言わせないよ。


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