よろず無駄無し屋

出たとこ勝負な文章ゆえの生々しさ

お金を握って考える弥勒菩薩がいたっていいじゃないか

こんにちは、無駄無し屋です。

今日は一つ事務所に祀られている弥勒菩薩像について書いてみようと思います。

まずは画像をどうぞ。

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この仏像は数年前にある方から頂いたもので、以来ウチの事務所の守り神的存在として安置されております。

画像を見ると仏像の手に一万円が握られていることが分かると思います。

これは勿論、はじめからこうだったわけではありません。

思うところあって僕が握らせたものです。

初めてこれを見た事務所にやって来る客人達からは様々な反応がありました

「こんなことをするとありがたみがなくなるよ」

「えっ、斬新で面白いじゃん」

「これは深いねぇ」

「バチあたりなっ!」

大体こんな感じの意見が多かったです(笑)

価値観というものは常にいくつかに別れるようになってますよね、必ず。

どのように感じるのも自由なことだと思います。是も非もありません。

ウチに安置されている仏像は弥勒菩薩半跏思惟像と呼ばれるもので、広隆寺に安置されている、かの有名な国宝と種類は同じです。

 

仏教の理屈でいえば、お釈迦様の次に如来という最高位につくことが決まっていて、未来に人々を救うにはどうしたものかと一生懸命に考えている

姿を表したのが、この弥勒菩薩半跏思惟像ということらしいです。

 

そういう理屈でいうと、人々を救う方法の一つにお金があってもいいんじゃないか、いや、むしろお金がないと人々を救うのは難しいのが現実というものではなかろうか、崇高な思想を持つことは素晴らしいことだが、その崇高な思想を持ってお金を扱えば、更に素晴らしい自他共に救われる未来を築くことが可能となるんじゃなかろうか。

 

というような想いがあって仏像にお金を握らせました(笑)

 

ここへ来る客人の方々は様々な 感想を持ちますが、それは自由なことであるように、僕が今書いたような解釈をするのも、また自由なんです。

 

僕は別に宗教というものには興味がありませんが、宗教も取り扱っている

「こころ」というものには重きを置きます。

端的に言えば「全ての結果の原因は心から生まれる」ものだと思ってます。

 

事務所に来ると必ずこの仏像の前で祈りを捧げます。

「正しくお金を使って正しい未来を手に入れる」ことを自分の心に刻み込むために。

 

まあ、無駄な浪費を避け、より有意義なお金の使い方ができるようにとの自分への戒めみたいなもんですね(>_<)

 

どこかで戒めないと、ついつい調子に乗っちゃうタチなものなので(笑)

仏像にお金を握らせるのは邪道なのかもしれません。

ただ僕は聖人でも賢者でもないし、邪道も正道、王道も関係ありません。

 

自分のこころに忠実な人間以上でも以下でもない人間なんですねぇ。

お札を握った弥勒は僕には魅力的に見えます(*≧з≦)

 

今日はこの辺で。